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30年前の映画音楽が何故いま・・・?

30年前の映画音楽が何故いま・・・?

2020.07.17 公開
2020.09.09 更新

ここ数年クラシック界では興味深い現象がおきています。
まあ、それほど大袈裟なことではないのかもしれませんが、或いはわたしだけが感じていることなのかもしれません。
それは、「シンドラーのリスト」という30年近く前の映画音楽が最近注目されていることです。クラシック界のアーチスト、それもかなりメジャーなアーチストたちがCDアルバムに収録したり、ユーチューブに公開しているのです。
ユーチューブ上で「シンドラーのリスト」で検索すればコンテンツを簡単に見つけることができます。

<サウンドトラック盤>このアルバムではイツァック・パールマンが演奏しています。
<サウンドトラック盤>このアルバムではイツァック・パールマンが演奏しています。

オリジナルのサントラ盤ではクラシックヴァイオリン界の名手イツァック・パールマンがジャンルの垣根を超えて演奏していることからして、当時の製作陣の力の入れが容易に想像できます。
しかし、当時は映画としての評価が先行して、テーマ音楽への関心は今ひとつだったのかもしれません。

 

ところが近年になって、俄かにその音楽の素晴らしさが注目されるようになった。「30年ほど前の映画音楽が何故いま?」という素朴な疑問が気になります。

そこで、わたし独自の見解です。それは2014年の冬季オリンピック「ソチ大会」まで遡ります。このときロシアのあるフィギュアスケート選手がこの曲「シンドラーのリスト」メインテーマをバックに演技し金メダルを取った記録があります。その選手の名はユリア・リプニツカヤ。

氷上のユリア・リプニツカヤ
氷上のユリア・リプニツカヤ

このときの彼女の演技とバックに流れた曲の素晴らしさ、そして感動が話題となり、これをキッカケに「シンドラーのリスト」メインテーマは蘇り、現在に至っているというのがわたしの推理分析です。

ニコラ・ベネデッティ 2005から2013年に録音した彼女のベスト盤 「シンドラーのリスト」は2012年の録音
ニコラ・ベネデッティ 2005から2013年に録音した彼女のベスト盤 「シンドラーのリスト」は2012年の録音

 

ジャニーヌ・ヤンセン 9曲目に収録されています。 録音は2003年
ジャニーヌ・ヤンセン 9曲目に収録されています。 録音は2003年

ところで、音楽の世界ではカヴァー(cover)という分野があります。過去の曲を別の演奏者、歌手がアレンジを変えて新たな解釈で演奏するというものです。カヴァー曲がオリジナル曲を飛び越えて、ヒットした成功例はこれまでに洋の東西を問わずいくつもあります。

例えば、映画「ボディーガード」の主題曲「オールウェイズ・ラブ・ユー」は元々はカントリー歌手のドリー・パートンが作詞作曲し自ら歌いある程度のヒット曲にはなりましたが、ときの流れとともにそのナンバーは人々の記憶から忘れ去られていきます。それをホイットニー・ヒューストンが映画「ボディーガード」のなかで歌いカヴァー曲としてのビッグヒットとなりました。

或いは別の形態として、「スタンド・バイ・ミー」やクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などオリジナル曲をそのまま使い、CMソングに採用されたことで更に多くの人に知られるようになった曲など、過去に埋もれていた曲が復活したケースは多々ある訳です。(最近は曲が使い捨て傾向にあると感じている私としては、こうした傾向は大歓迎です)
こうしたリバイバル現象に似たことが、今回取りあげる「シンドラーのリスト」メインテーマにもあったのではと感じています。

アンネ=ゾフィ・ムター 2015年10月発売のアルバム 16曲目(最終曲)に収録されている。
アンネ=ゾフィ・ムター 2015年10月発売のアルバム 16曲目(最終曲)に収録されている。

 

アンネ=ゾフィ・ムター
彼女にいたっては上記のアルバムとは別バージョンで
もう一枚アルバムを出している。

2019年9月発売 こちらも12曲目(最終曲)に収録されている。
2019年9月発売 こちらも12曲目(最終曲)に収録されている。

 

映画「シンドラーのリスト」はホロコーストを扱った戦争映画で、史実に基づくドキュメンタリー性が強くマニアックだったために、映画を観る対象者が限定的だった。つまりテーマ音楽を聞いてもらえる人が少なかったのではないかということです。

その裏付けとして、1993年の映画興行成績では「シンドラーのリスト」は同年1位の「ジェラシックパーク」の3分の一にも満たなかったそうです。映画を観た人たちには映画の感動とともに曲の印象もそれなりにあったのでしょうが、それでもアピールできたのは映画を観た人に止まった訳です。
ところが、冬期オリンピックの舞台で披露されたことにより、全世界に向けてこの楽曲は発信された訳です。その差は歴然だったと思います。
オリンピック会場に集った観客、テレビ観戦していた世界中の人たち、その中にクラシック界のアーチストがいてもおかしくありません。

恐らく、そうしたアーチストたちの関心と共感を得たのではないかというのが私の推測です。
先述した「何故いまシンドラーのリストなのか?」という疑問に対する回答は、こうした流れにより、あのユリア・リプニツカヤのオリンピック以降、現在完了(進行)形で評価、演奏され続けてきたからというのがわたしの結論です。

いずれにしても、原曲が素晴らしくなければ、本来カヴァーの対象にもならないし、CMソングとしても採用されないというのは当たり前のことです。そこに再評価などありえない訳です。
リプニツカヤの素晴らしい氷上の演技とジョン・ウィリアムスのどこまでも美しい旋律が、「シンドラーのリスト」メインテーマを現在に蘇らせたのです。

女性トランペッター アンドレア・モティス「EMOTIONAL DANCE」に注目

女性トランペッター アンドレア・モティス「EMOTIONAL DANCE」に注目

2017.05.03 公開
2020.09.06 更新

<第2回>
アルバム「Emotional Dance エモーショナル・ダンス」
女性トランぺッター&シンガー、アンドレア・モティス

今回ご紹介するのはアンドレア・モティスという女性トランぺッター&シンガーです。
その多才さから女性チェット・ベイカーなんて例えられているようですが、こう言った例え方は、実のところわたしは好きではありません。

とは言うものの、そんなキャッチフレーズのお陰で目を惹き、アンドレア・モティスを知ることができたのですから情けない話ですが感謝もしているのです。

確かに、こうした誰もが知っている有名人に例えてもらうと、理解し易いし伝達力も増します。
宣伝としてはもっとも効果的手法だと思います。

反面、固定観念に縛られ
ただ、わたしが懸念するのは、例える側も例えられる側も互いに迷惑ではないかということです。
ご存知の通り、アーチスト、なかでもミュージシャンという人種は個性を大切にする人たちですから、真似されたり、例えられることに対しては、人一倍神経質で、忌み嫌うのではないかと想像できるからです。

でも、今回のケースは、例えられる側のチェット・ベイカーはすでに故人で、こうした事実を知る由もないでしょうし、アンドレア・モティスの方は、偉大なトランペッターに例えてもらったのですから光栄でしょう。
と想像できます。

では、本来のアルバム「Emotional Dance」評を始めることとします。

アンドレア・モティス「EMOTIONAL DANCE」
アンドレア・モティス「EMOTIONAL DANCE」

かつては、肺活量など体力的にサックスやトランペットは女性には難しいだろうといった風潮があったように思います。
昨今のレディースはそんな金管楽器をガンガン吹きまくっているようで、何とも逞しいの一言です。
今ではクラシックやジャズ界など音楽シーンで活躍している女性サックスプレイヤーや女性トランペッターは珍しい存在ではありません。
音楽シーンに限らず、スポーツ界はじめ今やどの分野でも女性の勢いが止まらない時代なんですね。

さて、今回紹介するアンドレア・モティスもそんな逞しい女性のひとりなんですが、ジャケット写真などを見る限りでは、身体も小柄で表情はまだまだあどけない。
それでいてあのパワーは一体どこからくるのか?
いずれにしても、彼女のように実力をともなった女性プレイヤーなら大いに歓迎です。

<アルバム収録曲>
01 He’s Funny That Way 4:50
02 I Didn’t Tell Them Why 2:30
03 Matilda 6:52
04 Chega De Saudade 5:48
05 If You Give Them More Than You Can 4:05
06 Never Will I Marry 3:19
07 Emotional Dance 4:33
08 You’d Be So Nice To Come Home To 4:23
09 La Gavina 4:46
10 Baby Girl 4:23
11 Save The Orangutan 4:00
12 I Remember You 4:32
13 Señor Blues 3:49
14 Louisiana O Els Camps De Coto 4:33

ビリー・ホリデイの十八番である「He’s Funny That Way」ではじまるこのアルバムは、ジャズのスタンダードナンバーと彼女のオリジナル曲で構成されています。
スタンダードもソツなくこなしますが、驚いたのは彼女の作曲のセンスなんです。
21才とは思えない大人の音楽を作曲できて、尚且つ背伸びすることなく演奏し歌いこなしています。
なかでも、7曲目のアルバムタイトル曲「Emotional Dance」は「これ、彼女のオリジナルなの?」と疑いたくなるような完成度の高い曲で印象的です。

スタンダードの中ではビクター・シャーツィンガーとジョニー・マーサーの名曲
「I Remember You」が12曲目に入っていますが、これがイチ押しのお薦めです。

なるほど、IMPULSE(インパルス)が今一番期待する新星であることが、このアルバムを聴くと納得できます。
どうやら、アンドレア・モティスは単なるカワイ子ちゃんプレイヤーに留まず、持前の洗練されたセンスと確かな実力を兼ね備えた逸材であることは確かなようです。
(アルバム評)

はじめから終わりまでご機嫌なアルバム、リチャード・エリオットの「SUMMER MADNESS」

はじめから終わりまでご機嫌なアルバム

リチャード・エリオットの「SUMMER MADNESS」

2017.04.23 公開
2020.09.06 更新

<第1回>
Richard Elliot リチャード・エリオット
SUMMER MADNESS

アルバム「SUMMER MADNESS」ジャケット
アルバム「SUMMER MADNESS」ジャケット

01. Cachaca 4:03
02. Breakin’ It Down 4:19
03. Europa (Earth’s Cry Heaven’s Smile) 4:22
04. West Coast Jam 3:59
05. Harry The Hipster 4:31
06. Slam-O-Rama 4:26
07. Back To You 4:44
08. Ludicrous Speed 5:11
09. Summer Madness 4:08
10. Mr. Nate’s Wild Ride 4:27

かつてのフュージョン全盛の70年代、本来(?)のジャズをそっち退けでボブ・ジェームスやリー・リトナー、そしてアール・クルーなどフュージョン系ミュージシャンの曲を無我夢中で聴いていたあの時代。
そう、あの頃は音楽界はフュージョン(クロスオーバーとも呼ばれた)一色だった。
なんたって、あのマイルス・デイヴィスでさえフュージョンに傾倒していったのですから・・・

そんな異常なほどのフュージョンブームも何時からか巷では影を潜め、やがて私の意識からも完全にデリートされていった。
こうしてみると、流行というものにはみんなが同じように盛り上がり、同じように一斉に去ってゆくという、ある意味、儚さと恐ろしささえ感じる。
だが、ここではそんな人間性について云々するつもりは毛頭ないのだが・・・

前置きが長くなりましたが、ここでお話ししたいのはリチャード・エリオットというイギリス出身のサックス・プレイヤーのアルバム「SUMMER MADNESS」について。
まさに、フージョンの生き残り的アーチスト、未だ頑張っていますといったところか。一言で言って、タイトル通りの真夏を感じさせる熱くノリの良いご機嫌なアルバムだ。

実を言うと、このアルバム、入手するまでに相当時間がかかった。
アルバムを知ったのはまったくの偶然。
リチャード・エリオットというサックスプレイヤーについても、お恥ずかしい話だがそのときまでまったく知らなかった。

CDジャケットに載っていたリチャード・エリオット

何が私を突き動かしたのか?
そう、ネットショッピングの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」の項目。まんまとコマーシャルベースにハマった次第。いわゆる「ジャケ買い」だったのだ。

そこまではよかった。しかし、某オンラインサイトに注文してから忍耐の日々が続くこととなる。
注文から入荷予定日まである程度の日数があったが、それでも予定日になっても一向に届かず。
更には「当初の入荷予定日が延びました」「再延長」といった内容のメールが数回届き、挙げ句の果てには「入手困難」なんて通知まで来た次第。

しかしながら、ショップ側からの廃盤の知らせやキャンセル扱いはなく、何時まで待たされることやらと困惑していたところ、アマゾンのサイトで「在庫1件あり」の表示を発見。
早速、先方をキャンセルしアマゾンに注文。さすがアマゾン& ヤマト運輸、それから数日で届くことに。
あの数ヶ月は何だったのでしょうか?

そんなわけで入手には苦労したものの何とか入手に成功。
果たしてお馴染みの「ジャケ買い」は正解かどうかが次なる問題。
でも、苦労の甲斐あって届いたCDは文句なしのご機嫌なアルバムだった。

前述のとおりリチャード・エリオットについてはまったくの未知数だったが、その後調べてみると、どうやらフュージョン系のプレイヤーのようで、いまの時代を生き延びていることが意外だったが彼の演奏を聴いてすぐに納得した。彼のサックスは以前のフュージョンとはまったく異質のサウンドだったからだ。
当時のフュージョン系のものは、ジャズへの対抗意識が強かったからか、どことなく肩肘張った不自然さがあったように思う。「ジャズとは異質のサウンドを創らなければ」と、個々のプレイヤーが意識し過ぎていたのではないか。

最近のフュージョンはジャズのスピンオフとしての位置づけではなくて、完全にジャズの一演奏形態と化したと言えなくもない。
言い換えれば、私たちが音楽(特にジャズ)に対してジャンルを意識しない、寛容な耳を持つようになったということなのかも知れない。

アルバムの中でのお薦めのナンバーは、何と言ってもアルバムのタイトルにもなっている「SUMMER MADNESS」だろう。
最初にこの曲を聴いて思い出したのが日本のMALTAがその昔リリースしたアルバム「Summer Dreamin’」の中の曲「A Letter from September」だ。

この曲は楽しかった夏が終わり、そのほろ苦い思い出を懐かしむ、そんな主人公の心情が想像できるバラードだが、この二つの曲は、夏の終わりの名残惜しさ、物悲しさが見事に表現されているという点では絶品である。

MALTAの「A Letter from September」が入った
アルバム「Summer Dreamin’」

しかしながら、何と言っても泣かせてくれるのがアルバム3曲目の『Europa』、そう、ご存知あのサンタナの名曲「哀愁のヨーロッパ」のカバーだ。
以前、別のブログの「音楽 聴き比べ」と言うコーナーでこの曲を採り上げたが、その時はまだこのCDはなかった(わたしの意識の中にもCDライブラリーにも)から、当然そこでは触れていない。
今なら、数あるカバーの中で、最も哀愁を帯びた演奏はこのリチャード・エリオットの『Europa』であると断言できる。
ある意味、オリジナルのサンタナの演奏を上回る刹那さを感じさせてくれるからだ。

上記2曲を除くと、アップテンポでノリの良い楽曲がほとんどだが、ギラギラ太陽の躍動感溢れる夏と去りゆく夏の哀愁を同時に味わえる、魅力的で完成度の高いアルバムである。

アルバム「SUMMER MADNESS」ジャケット裏面

かつてサンタナのギターは「泣きのギター」と称されていたが、リチャード・エリオットのサックスもまた「泣きのサックス」の形容が相応しいだろう。
最近では珍しい、全体的にまとまった聴きごたえのある一枚、必聴盤である。
思い切り泣きたい方は絶対買いですよ。

喋れるヴァイオリニスト千住真理子の「四季」をはじめて聴く





いくつかCDでは聴いていた千住真理子さんのヴァイオリンでしたが、今回はじめて生での演奏を聴くことができました。

当日のパンフレット
当日のパンフレット

当然のことながら、CDとコンサートホールでの生演奏とでは大きな違いがあるわけですが、彼女の演奏は思っていた以上に力強い演奏だったことがとても印象に残ります。

それともうひとつ意外だったのが、昨今の演奏家の中にあって「喋れる」演奏家だという発見です。
こんなところも彼女の魅力のひとつではと感じました。
要は、演奏はもとよりすべての面で気持ちに余裕があっての成せる業ということなんですね。

とにかく演奏家は演奏がすべてだからステージでのその他パフォーマンスは必要ないという考え方も一方にはあります。
しかしながら、曲目の解説や自身のその曲に対する取り組み方などファンとしては関心のあるところで、そんなプラスαのコメントがあると、一段とコンサートが興味深くなるのではと思ったりしています。

プロフィール
プロフィール

当日の会場を見渡せば高齢者もかなりの割合を占めていた、というよりも高齢者がほとんどだったと言った方が正確でしょうから、尚更、合間々々に説明が入るのは親切かと思います。

クラシックの演奏会はこうしたお年寄りによって支えられているのかと、改めて認識を新たにした次第です。
見方を変えれば、千住さんのキャラが高齢者のファンの心をつかんでいると言えなくもないですが・・・

いずれにしても、チョッとしたコメントが親しみやすいコンサートにしてくれるのは確かなようです。

さて、当日メインの「四季」の演奏についてですが、最近は過度にアクセントをつけた、絵画に例えるとエッジの効いたというかハイライトをつけ過ぎたような演奏が、この曲に関しては流行っているようですが、千住さんのは極めてオーソドックスな無難な演奏だったと思います。とは言え、要所要所にメリハリがありヴィヴァルディの「四季」の情感と迫力は十分感じられたものでした。

いたずらに、スピード感とダイナミックさだけを追い求めた昨今の「四季」の演奏スタイルには疑問を抱いていた私でしたので、この日の千住真理子さんの演奏には大変注目していました。
その意味で、大変に好感がもてる満足のいく演奏だったと思っています。

そう言えば以前、千住真理子さんの母親である千住文子さんが著した「千住家にストラディヴァリウスが来た日」という本を読んだことがあります。

「千住家にストラディヴァリウスが来た日」
千住文子 著「千住家にストラディヴァリウスが来た日」

ヴァイオリンの世界的名器として知られる「ストラディヴァリウス Stradivarius」。
その中でも幻のヴァイオリンと称された「ドゥランティ」と、ヴァイオリニスト千住真理子さんとの運命的な出会いから始まるこの本には、名器購入までの千住家の生々しい紆余曲折のドラマが綴られています。

億単位の買い物をするか諦めるかを決断するまでの人間の心理状況など私たち一般人では経験も想像もつかないところですが、本に書かれている以上の精神的プレッシャーだったことは間違いないでしょう。
そして、何よりも名器を手にしたいという彼女の執念と意志の強さを、読み終えて感じずにはいられませんでした。
それは、コンサート活動、講演会、ラジオのパーソナリティ、そして書籍の出版など現在の彼女の精力的な活動からも納得できるものですが、この日の演奏にもその辺りの力強さが現れていたように感じました。
恐らく、この出来事(高価な買い物をしたという事実)は彼女の生涯あるいはアーチスト人生にあって最大の分岐点になったといっても過言ではないでしょう。

これ以降、彼女の運命は大きく動き出したのです。
それがどちらの方向に動き出したのかは誰にもわからないことですが、彼女を更に力強くしたことは確かでしょう。
今後の動向を温かく見守りたいと思います。

最後に、当日共演した「スーク室内オーケストラ」についても若干触れておきたいと思います。
千住さんが「メンバーの一人一人がソリスト」とメンバー紹介していた通り、確かな技量と弦の響はとても繊細だったように思います。
特に冒頭のグリーグの「ホルベアの時代から」の5曲辺りにその繊細さと余裕を感じました。
リーダーでありコンサートマスターのマルティン・コス氏は経歴通りの実力者で、無名(知らなかったのは私だけかもしれませんが)でも、世界にはこうした素晴らしい演奏ができる人がまだまだたくさんいるんだな~と感心しました。

イ・ムジチ合奏、サンクトペテルブルグ室内合奏団、そして今回のスーク室内オーケストラといい、フル・オーケストラの迫力とはまた異なった室内合奏団の魅力にこのところハマっています。

当日の曲目
当日の曲目

ちなみに、この日のアンコール曲は、アンコール曲としては定番のフリッツ・クライスラーの「愛の喜び」でした。

心温まるひと時 仲道郁代デビュー30周年記念 ピアノ・リサイタル





仲道郁代 30周年記念リサイタル
Ikuyo Nakamichic 当日のプログラムより

気が付けば今年も12月。
ひところの寒さは和らいだものの、冬の訪れは一歩一歩確実に近づいているようです。
思えば、こんな寒い季節になると何故かコンサート会場へ足を運ぶことが多い私たち夫婦。でも、昨日(12/3)は「仲道郁代さんのコンサート」に私一人の単独行動でした。正直なところ、私の奥さんにとっては今回のプログラム内容はハードルが高かったようです。

Ikuyo Nakamichicコンサート
Ikuyo Nakamichic プログラム内容

さて、この日のコンサート、プログラム冊子にもあるように仲道さんのデビュー30周年記念ということもあり、曲目は仲道さんの「マイ・フェイヴァリット」ソングで構成されていました。
そんな中、コンサート前半にチョットしたサプライズがありました。
それは、予定のプログラムにはなかったのですが、どうしても彼女が演奏したいということで、ピアノ練習曲としては超有名なモーツァルトの「ピアノソナタ K.545 ハ長調」の飛び入り演奏でした。
彼女の30周年記念というイベントに対する強い思い入れとファンを思う温かい気持ち(サービス精神)がこんなところにも現れていて演奏ともども感動した次第です。

Ikuyo Nakamichicプロフィール
Ikuyo Nakamichicプロフィール

一般的なクラシックのコンサートでは、演奏者がはじめの挨拶をした後は淡々と予定曲を演奏しフィナーレを迎えるというのが普通ですが、彼女のコンサートは演奏の合間に必ず楽曲の説明や、その曲にまつわるご自身のエピソードを交えてくれるのが特徴で、私たち聴衆にとっては分かり易くとても嬉しいことです。
そのため、仲道さんの演奏会は一方的にならず、打ち解けた雰囲気のまま、終始何とも言えぬ清々しさに包まれるのです。何とも後味の良い瞬間だといつも思っています。

この日も、幼少のころのショパンのポロネーズの思い出や、学生時代に練習しても練習しても上手く演奏できなかったリストの「メフィスト・ワルツ」という楽曲のことなど、貴重な体験談を聞くことができました。
仲道さんのコンサートはそんな魅力でいっぱいです。

彼女の演奏の素晴らしさは勿論のこと、彼女の人間としてのチャーミングさにも心惹かれ、次回も必ず行きたくなる、そんな演奏家のひとりです。

ちなみに、当日のアンコール曲は

  • ショパン:12の練習曲 作品10 第12曲<革命>
  • ショパン:12の練習曲 作品10 第4番<別れの曲>
  • エルガー:愛の挨拶

2016年12月3日

充実の2時間 ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタルを聴く





Hilary Hahn
Hilary Hahn

ヒラリー・ハーンを実際に見るのは今回が初めてです。
もう彼女も30代半ばというのに、ステージに現れたその容姿はあどけなく華奢で、それでいて優雅さを感じました。

当然のことですが、見慣れたCDジャケットと同じ彼女が、目の前のステージに立っていることに何故か安心感を覚えました。
そして、あの細い身体でありながら、あの驚きのパワーはどこから来るのかと感心しました。。
そんなところが昨日のヒラリー・ハーンの第一印象でした。

Hilary Hahn ヒラリー・ハーン
ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル ビラ

この日のプログラムは前半がモーツァルト、バッハといった古典ものに対し、後半はガラッと変わって現代曲がならんでいます。
こうした趣向は彼女がここ数年目指している特徴で、最近のCD作品やコンサート・プログラムでも披露されているものです。

彼女がもつ完璧なまでの演奏テクニックと力強さは、私が持つCD等で十分解っていましたが、ステージでの彼女の演奏では、
更なるきめ細かさと流麗さをはっきりと聴き取ることができました。

はるか彼方から聞こえてくる微かな音が、次第に音量を増し頂点に。
それはあたかも闇の向こうから近づいてくる得たいが知れない何かのようで、実にスリリングです。
彼女の最大の聴かせどころかもしれません。
音の大小、強弱の表現が実に上手いと感じました。

また、私は音楽評論家ではないので詳しいことはわかりませんが、
メロディーを歌わせるというか、流れるような旋律の部分ではとても滑らかに流麗に弾きこなします。
その意味では、今回プログラムになかった「シャコンヌ」など聴きたかった作品です。
(2013年のコンサートでは圧巻の演奏を披露したようで実に残念。)

当日は彼女のほか、ピアノ伴奏のコリー・スマイスだけという演奏構成の上、プログラム構成もバッハ、モーツァルト作品があるとはいえ比較的マイナーな作品と現代曲という組み合わせでしたから、途中なか弛みがあってもやむを得ないところを、彼女は持前の表現の多彩さとメリハリといった演奏テクニックで乗り切ったように思いました。
例えば、予定プログラム最終曲のティナ・デヴィッドソン作曲の「地上の青い曲線」は私は初めて聴く曲でしたが、ピチカートの珍しい奏法を披露してくれるなど、見せ場をチャンと心得ていたようです。

ヒラリー・ハーン プログラム
ヒラリー・ハーン 当日の曲目

恐らく彼女はこのプログラムに自信があったのでしょう。
その証拠に、アンコール曲含め約2時間のステージはアッという間に過ぎたというのが実感でしたから。

この日のカラフルでキュートなステージドレスとは対照的に、彼女の演奏にはひやりとしたスチールの剣を思わせる輝きと、鋭さと、美しさが同居しているようで、何とも印象深い充実のコンサートでした。

2016年6月13日

コンサートに於けるアンコールの在り方




さすが、NHK交響楽団
指揮者、トゥガン・ソヒエフの今後に注目!

最近のコンサートを観ていて、とても気になることがひとつある。
それは、アンコール演奏の在り方である。昨今のコンサートではアンコール演奏はプログラムの一部と化している。
あって当然という意識が演奏者、観客の両者にあるように思えて違和感さえ覚える。
本来のプログラムが終わるや否や、ブラボーの掛け声とともに万来の拍手が起こり、指揮者やソリストの数回にわたる出入りと挨拶を繰り返すお決まりのパターン。
そして最近では、そのあとに必ずアンコール曲がプラスされるというパターンが、概ねどのコンサートでも行われている。

そもそもコンサートに於けるアンコールという風習がいつ頃から始まったのか。
そんなことを改めて調べたことはないが、要は演奏者のサービス精神からきているのは確かであろう。
その意味では、当初はとても純粋な心遣いだったに違いない。

1、2曲余計に聴けるのだから誰しも得したと考えるのは当然だが、ここでへそ曲がりなわたしとしては納得がいかない。

そもそも、演奏家が予定の曲目を手応えある形で演奏できていれば、その日コンサートホールに足を運んでくれた聴衆に対して十分サービスしたことになるし、それで十分だと個人的には思うからだ。
しかし、最近ではアンコールがあることが前提という考え方がこの業界には蔓延しているように思える。

何度かコンサートを経験すると、その場の雰囲気というものを感じ取れるようになる。聴衆の立場からすると、惹き込まれるような演奏を聴けたとき。
演奏家にとっては、十分に納得いく演奏が果たせたとき。
よくいう演奏者と聴衆が一体になった時というのがこうした状況といえるのでしょう。

そんなとき、会場は自然発生的にアンコールを求めるもので、それは演奏家、聴衆両者が気持ちの上で同期状態になったからこそ起こり得る現象の筈だ。
(はじめからアンコールというレールが引かれていては興ざめしてしまう)
だが、そうしたすばらしい演奏会には、めったにお目にかかれないのが現実。

ところが、先日そうした数少ない貴重な演奏会に巡り会えたので紹介したいと思う。
でも、そこでは不思議なことに(後々考えると不思議ではないのだが)、アンコールは行われなかったのである。

去る2016年1月23日(土)
場所はみなとみらいホール。
NHK交響楽団の2016横浜定期演奏会でのことである。

2016NHK交響楽団
NHK交響楽団

プログラム内容は上のパンフレットの通りだが、この日の圧感はプログラム最後の「白鳥の湖」だった。

ルーカス・ゲニューシャスのピアノによるラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」もゆったりと堂々とした演奏で、作曲家ラフマニノフの曲調を十分に表現した名演だったが、それにも増してすばらしかったのがチャイコフスキーの「白鳥の湖」抜粋だった。

正直なところ、「白鳥の湖」のようなバレエ組曲をコンサート会場で(自宅のオーディオでも)聴くことは最近では滅多にない事だが、じっくりと聴いてみると、改めてメロディーメーカーとしてのチャイコフスキーの天性と偉大さに感心する。クラシック音楽の原点を再認識させられた思いだった。

ややもするとポピュラーすぎて軽く聞き流されがちなこの曲を、この日のN響は全力で演奏していた。その迫力はフィナーレで最高潮に達し、指揮者のトゥガン・ソヒエフも最高のパフォーマンスを発揮。演奏終了時は満足そうな表情を浮かべたものの、身体はフラフラ状態だった。
そんな演奏に対し、もちろん会場は万来の拍手喝采状態だった。

いつまでもアンコールを求める拍手が鳴り止まなかったが、指揮者のトゥンガ・ソヒエフはアンコールに応じることはなかった。
コンサートマスターの篠崎氏もトゥンガ氏に声をかけ、アンコールを促している様子だったがそれでも応じることはなかった。

一見、このときにとった彼の行為は、素っ気なく観客に対して失礼な対応のように感じられたかもしれないが、わたしは寧ろ勇気ある行動に感心した。

表情豊かで、動きの激しい彼の指揮ぶりでは、演奏後疲れ果ててしまったのも尤もで、さらにこの日の演奏はいつも以上に気合が入っていただけに、体力の限界だったに違いない。
アンコールがなかったのは無理もないことで納得できた。
その証拠に聴衆の中に落胆の表情は全く見受けられず、満足顔の人たちが目立っていたからだ。

逆に、あのとき不本意なアンコールを行っていたら、それまでの「白鳥の湖」の熱演もアンコール曲共々台無しになっていたかも知れない。
指揮者のトゥンガ氏は自身の体力とともに、そうした結果を十分に察知していたのだと思う。「あれで良かったのだ。」と思ったのはわたしひとりではなかったはずだ。

昨今のコンサートに於けるアンコールの在り方に、少なからず疑問を抱いているわたしとしては、彼の勇気ある行動にエールを送りたい気分だった。
将来、期待でき、応援したくなるマエストロのひとりである。

NHK2016パンフ演奏家紹介
NHK2016パンフ演奏家紹介

演奏者と聴衆、一期一会の出会いの中で繰り広げられる演奏。その演奏がすばらしければすばらしいだけ聴衆は惜しみない喝采を演奏家に送り、褒め称えるのは自然なことだ。
そして、必ずしもそうした拍手喝采が、アンコールを求めるだけのものではないと言うことを、この日のコンサートはわたしたちに教えてくれたように思う。

要するに、アンコールをするかしないかは、その場の状況やその時の成り行きなどで、瞬間的に判断されるものであってほしいと思うのだ。
自宅でのCD鑑賞とコンサート会場での生演奏との決定的な違いは臨場感など音に関係する違いであることは勿論だが、こうした会場でのワクワク感、緊張感もコンサート会場にいなければ味わえない魅力であり、それこそコンサートに期待するものだ。

Ave Maria in Christmas  サンクトペテルブルグ室内合奏団





去る12月23日、「クリスマス/アヴェ・マリア」と題したクリスマス・コンサートに行ってきました。

みなとみらいホール前のクリスマスツリー
みなとみらいホール前のクリスマスツリー

ロシアのサンクトペテルブルグ室内合奏団とマリーナ・トレグボヴィッチ、ナタリア・マカロフの二人のソプラノによる豪華競演でした。

注目は、数あるアヴェ・マリアのなかでも三大アヴェ・マリアと言われているJ.S.バッハ(グノー編曲)、シューベルト、カッチーニの作品を一度に聴けること。

バッハとカッチーニのアヴェ・マリアをナタリア・マカロフさんが前半に、後半マリーナ・トレグボヴィッチさんがシューベルトのアヴェ・マリアを熱唱されました。どれも美しい旋律を持った名曲ですが、その中でもカッチーニ作曲のアヴェ・マリアは哀愁を帯びた旋律が深く心を打ち涙を誘います。ソプラノのナタリア・マカロフさんはまだ29歳とのこと、でも、その歌唱力、落ち着きはベテランを思わせ堂々としたもので、この名旋律をドラマチックに謳い上げていました。

STPETERSBURG_Xmas
パンフレット 表
STPETERSBURG_Xmas_2
パンフレット 裏

パンフによれば、サンクトペテルブルグ室内合奏団はクラシック音楽の他にも、ジャズや映画音楽をレパートリーとしているというコメントがあったのですが、この日の演奏は極めてクラシックの正統派の演奏だったと思います。楽譜にとても忠実な演奏だったのが意外でしたが、好感が持てました。臨機応変の対応ができるこの合奏団の技量は奥深いと言えます。

なかでも、コンサートマスターのイリヤ・ヨーフさんは表情豊かな方で、おどけた顔を何度もしてクラシックの演奏家では異色ですが、ヴァイオリン演奏の実力は確かなものがあると感じました。指揮のお仕事とソロ演奏を見事にこなし、ジャンルによって演奏形態を自由に変化させることができるのはその証でしょう。

ヴィヴァルディの「四季」は季節柄、この日は「冬」だけの演奏でしたが、このサンクトペテルブルグ室内合奏団で、すべて聴いてみたい気持ちになったほどです。それと、ジャズや映画音楽についてもどんな演奏をするのか興味深いところです。

この日のコンサートは誰もが知っている馴染みの曲を集め、敢えてクリスマス・ソングのオンパレードにしなかったプログラム構成が上手く計算されていた印象でした。
クリスマス・ソングは楽しい曲、美しい曲と名曲がいっぱいですが、その連続演奏を一方的に聴くのでは疲れてしまい、コンサートとしては相応しくないように感じます。その意味で、選曲についてはとても良かったと思います。

当日のプログラム
当日のプログラム

いわゆるクリスマス・ソングは、「きよしこの夜」がアンコールで披露されたくらいで、多くはクリスマスソングではないけれどクリスマスをイメージできる曲で構成され、通常のコンサートとしても十分満足できる2時間にしていたように思いました。

コンサートを聴き終えて、爽やかな気分と豊かな気持ちになれたのは、わたし一人ではなかった筈です。

2001年Merrie Monarch ナターシャ・オダのDVD復刻に期待

Natasha Oda
Natasha Oda   画:JD

ハワイの踊りフラには、アウアナ(現代フラ)とカヒコ(古典フラ)の2種類があります。日本で行われているフラ・イベントではアウアナがほとんどですが、ハワイのアーチストによるステージではカヒコもよく踊られています。

カヒコは古典フラと呼ばれているように、古代ハワイの伝統に従っていて、神様に捧げる神聖な踊りとされています。そのため、比較的決まりごとが少ないアウアナに比べて、カヒコは守るべきルールが多く厳しいようです。
踊りの前にチャントというお祈りを神に捧げるのも、そうしたルールのひとつのようです。

また、踊りの衣装も優雅できらびやかなドレスで踊るアウアナに対して、カヒコはあくまでも素朴で大胆で力強さを感じる衣装が多いようです。
それは元来、フラという踊りが男性の踊りだったことに由来するからかもしれません。

そんな古代ハワイから受け継がれたカヒコですが、わたしが最も感動したのが、2001年のメリーモナークでミス・アロハ・フラに輝いたナターシャ・オダ(Natasha Oda)がコンペで披露したカヒコです。

カヒコ最大の特徴である力強さ、雄大さは勿論のこと、その斬新な振り付け、独特の動き、そして千変万化する彼女の顔の表情は余裕すら感じます。あの舞台でのナターシャ・オダのフラ・カヒコはまさに圧巻の一言です。

メリー・モナークの長い歴史の中で、2000年のテハ二・ゴンザーノ、2003年のジェニファー・オオヤマ、2004年のナターシャ・アカウ、2009年のヘノヘア・カネ、そして最近では2013年のマナラニ・ミリ・ホコアナ・イングリッシュなど錚々たるメンバーがミス・アロハ・フラの栄誉に輝いていますが、このカヒコに関してはあの時のナターシャ・オダが最高位だとわたし自身は信じています。(すべてを比較した訳ではありませんが)

とにかく、わたしのつたない解説よりも「百聞は一見に如かず」
動画をご覧ください。

2001 Merrie Monarch Festival
Miss Aloha Hula  Natasha Oda 

`それにしても、2001 Merrie Monarch Festival のDVDは復刻されないのだろうか?

当初はVHSのビデオテープでの販売だったそうですが、確か2004年頃にDVDとして再販したと聞いているのですが、現在は廃盤のようです。
中古市場でもほとんど出回っていません。

2001 Merrie Monarch Festival のDVD
2001 Merrie Monarch Festival のDVD

ハワイへ行ったとき何度か探しましたが、虚しい結果に終わりました。

メーカーさんには是非お願いしたいと思います。

名門チェコ・フィルを聴く

去る11月3日文化の日、名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の音の素晴らしさに堪能してきました。指揮は2012年にこのオケの首席指揮者に復帰したイルジー・ビエロフラーヴェク。場所は横浜みなとみらいホール、曲目は以下の通りです。

・ スメタナ : シャールカ ~連作交響詩「わが祖国」より
・ メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲 op.64
  庄司紗矢香(ヴァイオリン)
・ ドヴォルザーク : 交響曲第9番「新世界より」op.95

チェコ・フィル&ビエロフラーヴェク&庄司紗矢香
チェコ・フィル&ビエロフラーヴェク&庄司紗矢香 コンサートビラ

 

チェコ・フィルと聞いてまず思い起こすのは、やはりラファエル・クーベリック、カレル・アンチェル、ヴァツラフ・ノイマンといった歴代のチェコ人名指揮者による母国作曲家作品の名演奏です。
残念なことに、彼らの演奏を生で聴くことはできませんでしたが、数々のCDでもその熱気は充分感じ取ることはできます。

母国作曲家の作品への愛着という点では、どのオーケストラも同じでしょうが、その中でもチェコ・フィルは特別なものがあります。
それは言うまでもなく、この国とこのオーケストラが辿った歴史的悲劇に起因しているのでしょうが、それ故にオーケストラメンバーひとりひとりの自信と力強さを演奏の中にはっきりと感じ取ることができます。

歴史的悲劇といえば、指揮者もまたその例外ではありません。
記事の冒頭、今回の指揮者イルジー・ビエロフラーヴェクが「首席指揮者に復帰」と記したのも、1990年代初めの内紛による影響で彼はそれまでの首席指揮者としての職位の辞任を余儀なくされ、その後2012年に再度就任という経過があったからです。

以前、テレビで1964年の東京オリンピック、女子体操個人総合などで金メダルをとったベラ・チャスラフスカさんのドキュメンタリー番組を観たことがあります。彼女もチェコ(当時はチェコスロバキア)人として時代というか政治というか、そうした国家の情勢に翻弄されたひとりですが、彼女と同様の苦難が指揮者イルジー・ビエロフラーヴェク氏にもあったということは不勉強ながらこれまで知りませんでした。

そうした暗い過去を背負ったチェコ・フィルですが、当日は活き活きとしたスメタナ、ドヴォルザークを聴かせてくれた気がします。なかでも、オーケストラの各メンバーの表情は意外なほど明るく、何か救われた思いでした。

それとは対照的に、庄司紗矢香さんのメンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲はチョッと元気がなかったような印象です。細部にわたる木目の細かさ、弱音での丁寧さなど技術的には高い評価を受けるでしょうが、残念ながらこの日の演奏では音の線が全体的に細かったように感じます。
演奏は体調など微妙に影響するものですからいたしかたありません。
次回に期待したいところです。

とは言え、チェコ・フィルの手馴れた演奏とこちらも聴きなれた曲目ということで、演奏者、観客とも肩肘張らずリラックスした時間を共有できたように感じます。殊のほか女性メンバーの表情の豊かさと自由奔放な演奏振りがこの国チェコの現状を象徴しているようで、微笑ましい限りです。演奏を聴きつつ、精神的不安や緊張が知的生産や芸術活動に如何に悪影響を及ぼしているかを確信しました。今のこうした落ち着いた情勢がいつまでも続くことを願わずに入られません。

それにしても指揮者イルジー・ビエロフラーヴェク氏のサービス精神ぶりには何とも感動の一言です。アンコールで3曲も演奏していただいたのですから。彼が親日家かどうかは分かりませんが、聴衆を大切にするというその思いは充分伝わってきたように思います。