007とわたし


12月4日から007シリーズとしては24作目になる「スペクター SPECTRE」が公開された。

007 「スペクター SPECTRE」
007 「スペクター SPECTRE」

ボンド役はダニエル・クレイグ、彼としてはシリーズ4作目の出演であり、ボンド役としては6代目である。
ボンド役を巡る出演者の問題や作品の方向性の違いによる製作者間の確執など、さまざまな紆余曲折を経ての24作目の作品である。
映画化された第一作目の「ドクター・ノオ」(1962年公開)から半世紀以上の年月が経っても、シリーズとしての魅力はいま尚決して衰えていない。
そんな007について今回は触れてみたい。
題して「わたしの007論」ではチョッと硬いので、「007とわたし」ぐらいにしておこうか。

TL;DR

そもそも「007」はどう読むのが正しいのか、から話を進めよう。
日本では、はじめ「ゼロ ゼロ セブン」といっていたように思うが、スクリーンの中では「ダブル オー セブン」でほぼ統一されていた。
ちなみに、日本でテレビ放送された海外ドラマ「0011 ナポレオン・ソロ」や石ノ森章太郎の「サイボーグ 009」などはみんなゼロ ゼロと言っていた。
当時は「ダブル オー セブン」なんて洒落た言い回しは思いも付かなかったのだろう。数字の前にゼロ埋めする表記法は、デジタル社会の現代でこそ一般化しているけど、当時の日本では考えられないことで、それだけでも斬新で格好良く思えたものだ。
戦後の日本社会では、海外のものは何でも凄い、格好いいという舶来至上主義的な考え方が根強かったから、そんな風紀も後押ししたに違いない。

さて、わたしと007の出会いというと、かなり遡ることになる。
はじめてその単語を耳にしたのは小学校5、6年生のころだったと記憶している。
当時わたしのクラスには、成績が学年で1、2番の秀才がいて、その友人の彼があの早川書房のポケット版(と呼ぶかどうか分からないが、文庫本より縦長)の007シリーズの一冊「ゴールドフィンガー」を読んでいたからだ。
見るからに大人の本と分かるその装丁に、「頭のいい奴はこんな洋書(英語ではないが)を読むんだ・・・」とタダタダ感心したのを覚えている。

そんな友人の影響か、わたしも中学に入り、一年生のときに映画としては4作目の「サンダーボール作戦」を観ることになる。
当時は物語の大筋は理解したものの、幼い少年にはボンドガールのクロディーヌ・オージェとルチアナ・パルッティの見分けがつかず、その点でのストーリー展開が自分の頭の中で混乱していたのは事実である。
オープニングで水中に戯れる美女のシリエットを見て興奮していたのだから致し方ない。
そんな訳で、わたしは当時の早熟な秀才のお陰で、いち早く007を初体験しこの名画に出逢うことができたのである。

では、半世紀以上に亘ってこのシリーズが生き延びてきた、それも名実ともに映画界をリードする人気作品であり続けることができた要因は何だったのか。
世間一般に言われている理由と重なるかも知れないが、わたし自身が感じている映画「007シリーズ」の魅力=長続きの要因について、次に話したいと思う。

最大の要因はなんと言っても、イアン・フレミングによる原作の面白さだと思う。
かつての映画の世界にはなかったスパイという特殊な職業を主人公にしたこと。
それまでの西部劇、コメディー、ラブ・ロマンス、戦争ものでは、ある程度先が読めてしまうストーリー展開もスパイという未知なる主人公の登場で、その後のストーリー展開は以前ほど読めなくなったという面白さが加わったのは確かである。
決して勧善懲悪ではなく、必要とあらば人をも殺す「殺しのライセンス」を持つ男が、ある意味主人公として待望されたことは、時代背景を考えたとき当然だったのかどうか疑問が残るが、事実は事実である。
過激なシーンや残酷なシーンでは、当時は教育上良くないとの指摘も多く囁かれた。

映画が映し出す世界はとかく時代を先取していることが多いから、観ているわたしたちはそうした世界に憧れてしまうのが常だが、フィクションとノンフィクションとの見境を確りと自覚しなければいけないことを映画は教えてくれたように思う。

さて、長く続くものには必ず「マンネリ」という最大の壁が立ちはだかるものである。
「007」という映画もその例外ではなく、その対応策のため制作方針が大きくぶれた事があった。
直接の原因は主演俳優の交代にあったのだろうが、時代背景や世界情勢などにも左右され、当時そのポリシーの一貫性を失ったことが我々素人でも分かった。
その際たる例が007「ジェームス・ボンド」という主人公のキャラクターの二転三転に見ることができる。
つまり、シリアス優先のボンドかユーモア優先のボンドか、あるいはそのミックスかということである。
この迷いは「007シリーズ」を結果的に支えたとわたしは思っているが、制作スタッフを大いに悩ませた問題でもあったという。

初代ボンド役のショーン・コネリーと次のロジャー・ムーアが演じるボンドでは全くの別人格の設定だったし、その後に演じた人たちも及第点は獲れていても優等生にはなれていない(と、わたしたちは思ってしまう)。
*正確にはショーン・コネリーとロジャー・ムーアの間には「女王陛下の007」でボンド役を演じたジョージ・レーゼンビーがいるが、この1作品のみ出演ということで、ここでは除かせてもらった。
こうした見方、傾向は致し方ないことで、誰の性でもないことだと思う。
俳優ショーン・コネリーの個性が強烈だったこともあるのかもしれないが、初代という優位性がそれ以上に働いたことは確かだろう。
第1作「007 ドクター・ノオ」から第5作「007は二度死ぬ」でボンドのキャラクターは完全に、ショーン・コネリーのキャラクターとイコールになり確立されてしまったのだ。
(ちなみに、この定着したイメージがボンド役を降りたショーン・コネリーを後々暫くの間、苦しめることになるのだが・・・)

それ以外では、ボンド・ガールの存在も常に話題になり、シリーズの魅力のひとつとして忘れることができない。
「今度はどんな美女が・・・」とわくわくしたものだが、不思議なことに彼女たちのその後は必ずしもバラ色の女優人生だったとは言えないようである。この点に関しては一考の価値があると思うが、それはまた別の機会に。
個人的には「007 ロシアより愛をこめて」で知的で怪しい魅力を秘めたボンド・ガールを演じたダニエラ・ビアンキを推すが、彼女もその例外ではなかったようだ。

DanielaBianch
DanielaBianch

さて、こうしてみてくると「007」シリーズの魅力は強烈なひとつの要因だけで支えられていた訳ではないことが分かるが、最後に挙げる要因は音楽の存在である。

映画を語る上で、決して切り離すことのできない重要な要素が音楽である。それは名曲と呼ばれるスタンダード・ナンバーの多くが映画の中の挿入歌であったり、テーマソングとして世に出たことを考えれば納得がいく。「ティファニーで朝食を」の「ムーンリバー」、「いそしぎ」の「The Shadow of Your Smile」、「スイング・ホテル」の「ホワイト・クリスマス」
と例を挙げれば切りがないほどである。
そうした中で「007」シリーズでの音楽の役割は計り知れぬほどの大きい効果があったと思う。

意外にも、あの有名な「ジェームズ・ボンドのテーマ」はモンティ・ノーマンという無名に近い作曲家によるものらしいが、この曲がベースとなり、クラシックでいう変奏曲や組曲のように歴代「007」のスクリーンミュージックは展開されていったように思う。
その中心的役割を果たしたのが音楽監督を務めたジョン・バリーである。
何といっても初期段階のジョン・バリーのオーケストラ中心のサウンドは重厚で、氷の世界を想わせる冷やりとした神秘性はこの映画のスケール観を見事に表現していた。
サウンド・トラックを聴くだけでスクリーンのあのシーンこのシーンが甦ってくるようだった。

ロシアより愛をこめて From RUSSIA with Love
From RUSSIA with Love

「007 ロシアより愛をこめて」のエンディング。ヴェニスの水上都市をバックに戦いの緊張から開放されたボンドとダニエラ・ビアンキ演じるタチアナ・ロマノヴァが、例の愛の戯れとともにボートで去っていくラストシーンは何度見ても鳥肌ものである。
粋なエンディングもさることながら、それを盛り上げているのがマット・モンローが歌う「ロシアより愛をこめて From Russia With Love」であり、印象的なシーンとして今でも強烈に記憶に残っている。「現実もこの映画のように自身の思い通りに展開してくれたら」と誰もが思ったに違いない。
幼い映画少年はこのエンディングシーン一発で完全に映画に魅せられ、映画と音楽をその後の人生のバイブルとして、良き友として位置づけて行くのである。

書き出すまでは、コンパクトに纏めるつもりでいたが、「007」と言うテーマはそれほど簡単に語れるものではありませんでした。
まだ書き足りないことがたくさんあるので、後々第二弾を出したいと思っています。