ここところ、ソニーの中途退職者による暴露本的書籍が、流行のように出版されている。
あの、誰もが憧れる一流企業ソニーを中途退職したというだけで、話題性は十分だが、
最近のソニーに何が起きているのだろうか。
今回はその中の一冊で、昨年11月に発売になった辻野晃一郎著の
「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」を紹介しよう。
発行は2010年11月20日。
版を重ね、現在も売れている話題の本である。
私が購入したのが、発売間もない昨年の12月初め。
購入動機は書籍のタイトルだった。
実は20年程前に、何ともユニークなタイトルに心惹かれ購入した一冊の書籍があった。
ロバート・フルガム著「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」である。
当初は、その一風変わったタイトルの方が気になり、
正直、内容にはそれほど期待していなかった。
だが、読み始めるとタイトル以上に作品内容がユニークで、
著者の発想の素晴らしさに新鮮な感動を覚えた。
フルガムには悪いが、私にはまさに「嬉しい誤算」の一冊だったのだ。
辻野氏がフルガムを読んだかどうかは定かでないが、
恐らくこの本を意識してのタイトルではないかと思う。
そんなパロディー的な遊び心と「グーグル」と「ソニー」という固有名詞に誘われ、
何の予備知識もないままに購入した次第である。
この二冊を読み比べてみると、両者の根底に流れる主題は明らかに共通していることが分かる。
そこで、当該作品「グーグルで・・・」に触れる前に、
フルガムの作品「人生に・・・」について簡単に紹介しておこう。
そもそも、ロバート・フルガムの「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」は
日常の極々当たり前の事例から、物事の道理を導き出す彼独特の手法と、
観察力がとてもユニークで、こうした点がこの本の魅力だったように思う。
彼がこの本で訴えかけるテーマは、彼の言葉を借りれば次の一節に代表される。
「人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々送ればいいか、
本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。
人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、
日曜学校の砂場に埋まっていたのである。わたしはそこで何を学んだろうか。」である。
つまり、人間が生きていくには、なにも高等教育を受けなくても、幼いころの遊びの中から得た、
基本的な教訓さえ守っていれば充分なのだと言う。
そして、大切なことのヒントは、「幸せの青い鳥」同様、
極々身近なところに隠れているのだと教えてくれる。
とても単純で解り易く、文字通り本のタイトルそのものなのだ。
このように、フルガムの教えは決して斬新ではなく、至って常識的なものばかりだ。
それでいてその教えは深く、確実に真理であり、われわれ読者に強烈なインパクトを与える。
極めて当たり前のことを、改めてこのような一冊の本として纏められると、
まさに「先にやられた」というのが実感であり、正直多少の嫉妬心さえ覚えた。
それ故に、いつまでも記憶に残る一冊となったのだと思う。
では、辻野氏の「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」
に戻るとしよう。
「世界一の製品を目指す」というソニー創業からの精神と情熱は、
今のソニー上層部にはないと、辻野氏はこの本の中で断言する。
上司との衝突、納得できない人事異動。
そして、ウォークマンなどで実証した「ソニーは世界一」という、
かつてのプライドを「iPod」に奪われても平然としている組織体質に彼は嫌気が差した。
そして、退職という路を彼は選んだ。
退職を決断するまでに、かつてのソニーを取り戻そうと、彼は組織内で努力するが、
それもひとりの力では限界があることを悟る。
一見、この本は今流行りの暴露本のように思われるが、
著者の本意はそんな小さなものではない。
確かに全般は、ソニーの現状批判に終始するが、
そのことは裏を返せば、辻野氏がソニーという会社を愛するが故のことと信じたい。
現状批判はソニーの本質・全体を否定したものでは決してないと思う。
かつてのソニーを愛した著者故の表現であり、エールを込めた叱咤激励ではないだろうか。
はっきり言えることは、現在隆盛を極めているグーグルやアップルの成功のノウハウは
かつてのソニーの組織内に確実に在ったということである。
金の卵を持ちながら、その輝きに気がつかず、努力を惜しんだ今のソニー。
現役時代、著者自身も漠然と感じていたもの。
ソニーを離れ、グーグルの一員となった時、改めてそれが何だったかを実感するのだ。
フルガムの言う、本当に大切なもの(成功のヒント)は、
身近なところにあるのだという教訓そのものではないだろうか。
カセットテープ以前、テーブデッキがオープンリールだった時代から、
β・VHS戦争の時も、ソニーのファンで意識的に「β」を愛用してきた私としては、
確かに今のソニー製品には物足りなさを感じている。
ソニーと言えば独自性、格好良さ、技術の確かさが魅力だったはず。
β・VHS戦争時、すべてのオーディオメーカーを敵にまわしたソニーの一匹狼的存在は、
ちょっと「へそ曲がり」な私には格好よく思えたし、頼もしく感じた。
戦いは残念な結果に終わるが、当時のその雄姿には企業としての拘りと誇らしさを感じた。
過去の遺産である本格オーディオ技術を安売りし、
液晶テレビの液晶を他国メーカーに頼る現状のソニー。
そこには、かつての「技術のソニー」「世界のソニー」の面影はない。
あるのは「藁をも掴む溺れる者」の姿だけである。
読み終えた後、
心境は辻野氏とオーバーラップし、氏の無念さが痛いほど伝わってきた。
<ソニーを題材にしたその他の書籍>
「技術空洞」 VAIO開発現場で見たソニーの凋落
宮崎 琢磨 著
ソニーはなぜサムスンに抜かれたのか
菅野 朋子 著