世の中なかなか自分の思い通りにはいかないもので、とことん巡り合わせが悪いと嘆くことは多々ある。
例えば、乗ろうと思ったエレベーターが行ったばかりでどれも上層階へ行ってしまったとか、渡ろうとした信号がいつも赤で待たされるといった具合である。
だが、そんな何気ない日常生活の一幕ならともかく、人生最大の節目(私にとっては)で、こうした巡り合わせの悪さに遭遇した場合は最悪である。
振り返ると、わたしの人生もそうした類の苦い経験の宝庫だった気がする。一例を挙げれば、遥か昔の大学受験の時期まで遡るのだが・・・
例によって(?)受験に失敗した私は、一年浪人し都内の某私立大学(第一希望ではない)に何とか合格することができた。
ある意味ラッキーだったのはそこまでで、その一年浪人したことが後々に大きく響くこととなる。
当然のこととして就職活動は当初より一年ズレ、そのことにより歴史上のターニングポイントにもなったオイルショックの煽りをまともに受けることとなった。志望の企業はことごとく募集なし。お陰でやりたい仕事にも就けず妥協案で決着である。
ひとつ年上の先輩などは、スレスレのところでこの悪夢を経験することなく、難なく某一流企業に就職することとなった。
そのことについて家内に愚痴をこぼせば「あなたはマイナス思考だから・・・」の一言で片づけられてしまう情けない現実。
それ以降、「一流大学、一流企業を出たからといって必ずしも幸福とは限らない」というへそ曲がり人生哲学に目覚めるのである。
「そんな巡り合わせの悪い世代なのだ、わたくしの世代は」と決めつけ嘆く。
因みに、そんな時いつも思い出すことわざがある。
それは「人間万事塞翁が馬」で、中国の古い話によるものらしいが、要するに「人生では何が幸せになるか、不幸になるかはわからない。だから、幸不幸の度に喜んだり悲しむことはない。」と云う人生訓である。
このことわざを思い出すと、多少気持ちは楽になるのは事実である。
そんなわたしのつまらない個人的な話はさておき、今回紹介するビヴァリー・クレイヴェンというイギリスのシンガーソングライターについて話を始めることにしよう。
彼女もまた、そんな巡り合わせの悪い悲劇のアーチストのひとりかも知れない。
Beverley Craven ビヴァリー・クレイヴェン
デビューアルバム「プロミス・ミー ~想い焦がれて~」
ビヴァリー・クレイヴェンはスリランカ出身という珍しいイギリスの女性シンガーソングライター。
ただ、正直なところ彼女についてはその程度のことしか分からない。
彼女が26歳の時、1990年に今回紹介するアルバム「プロモス・ミー ~想い焦がれて~」は発売された。
発売当初は際立ったセールスもなく、その後、レコード会社により何度かのテコ入れの結果、本国イギリスでは大ヒットを果たせたようだが、世界的にはほとんど無名に近かったようである。
当時、我が国でもほとんど話題に上らなかったように記憶するが、何故かわたしのCDライブラリーには当該アルバムが収められている。恐らく当時、今もその傾向は無きにしも非ずだが、わたし自身としてはメジャーアルバムよりもマイナーなアルバムを集める傾向が強かったからだろう。
購入当初、何度か聴いた記憶はあるが、正直なところアルバムタイトル曲以外は、印象の薄いナンバーばかりだったように思う。
今回、90年代にリリースされた当該アルバムを改めて紹介しようと思い立ったのは、まったくの偶然がキッカケである。
ところで、何かしながら音楽を聞く(聴くではなく)というのは、わたしのリスニングスタイルのひとつだが、そんなある日のこと、いつものように作業をしながらパソコンのiTunesを連続再生していると、当該アルバムが流れ始めた。
一曲目はアルバムタイトル曲「プロミス・ミー」で久しぶりだった。彼女の代表曲だけあって、なかなかメロディアスで聴き応えあるナンバーである。それ以降も楽曲的にレベルの高いナンバーが続き、彼女の才女ぶりを窺い知ることができる。無名アルバムとは到底思えぬアルバム完成度の高さ、それを当時見抜けなかったことに、ある種の罪悪感さえ覚えたほどである。そんなわたしを更に圧倒させたのが最終曲「missing you (邦題:あなたのいない部屋)」である。
最終ナンバーで切々と歌うビヴァリー嬢の歌唱が涙を誘う。この「missing you (邦題:あなたのいない部屋)」はほろ苦い別離の曲だが、淡々とした中にドラマチック性を感じる美しいナンバーである。アルバム収録曲すべてが彼女のオリジナル楽曲で構成されているが、そのほとんどが男女間の心象風景を題材にしている。スタンス的には女性側に立っているが、歌詞の内容からは、いたずらに女性に肩入れすることなく、決して一方的にならない中立性も垣間見ることができる。
アルバムジャケットから察するに、本当の彼女は理知的で、冷静な女性ではないかと想像できる。
また、曲の世界では確かに弱い女性を表現している部分もあるが、彼女自身は芯の強いたくましい女性に違いない。
このところ、そんな彼女のアルバムに感心然りで、これほどまでに完成度の高いアルバムがどうして世界的大ヒットに結びつかなかったのかというのが最大の疑問なのだが、それこそ冒頭に触れたビヴァリー・クレイヴェンというアーチストの巡り合わせの悪さに他ならないと思う。
彼女の本国であるイギリスは、かつてはエルトン・ジョン、ギルバート・オサリバンなどの大物シンガーソングライターを排出し、片やアメリカではジェームス・テーラー、キャロル・キングそしてカーリー・サイモンなどが活躍。そんな70年代、80年代の世界的シンガーソングライター全盛期はすでに過去のものとなり、彼女が下り立った時代のミュージックシーンはダンス・ポップやアダルト・コンテンポラリー系のミュージックが主流になっていた。
スタンダードナンバーではないが、既成の楽曲を熱唱するホイットニー・ヒューストンやマライヤ・キャリーといった本格派ヴォーカルが持て囃された時代だったのである。
彼女の作品は過去の偉大なシンガーソングライターのものと較べても決して見劣りするものではないし、むしろ彼女の作品の方が後発故に緻密で洗練されていてスケールも大きい。
かつて、β、VHSのビデオ戦争の時と同様に、優れたものが必ずしも生き残れるとは限らない過酷な現実。ビヴァリー・クレイヴェンというアーチストもまた時代に翻弄されたひとりなのかも知れない。
今回の件で強く感じたのは、音楽というのは、演じるアーチストと聴き手である私たちが、ある部分でシンクロした時にはじめて共鳴(評価or素晴らしいと思う)できるものなのだということだった。
一つの曲がリスナーの今おかれているシチュエイションや環境、年齢などの違いで印象が大きく変わるのだと実感した。
あのとき何とも思わなかった曲が今聴いたら感動したとか、その逆も然りだ。
「ビヴァリー・クレイヴェンというミュージシャンも、もう10年早く活動していれば・・・」と思わせる実に惜しいアーチストであり、気の毒でならない。
追伸
残念ながら、今回ご紹介しました、アルバム「プロモス・ミー ~想い焦がれて~」は現在廃盤のようでネットの中古市場で若干出回っているようです。
「missing you (邦題:あなたのいない部屋)」については、本題冒頭のYouTube動画でチェックされたい。
2023.04.15 一部改定