ヴィヴァルディの「四季」と言えば「イ・ムジチ」、「イ・ムジチ」と言えば「四季」と言われるほどこの両者の結びつきは長くて強い。そんなイ・ムジチ合奏団のコンサートに先日行ってきた。
2013年10月20日 、会場は横浜みなとみらいホールである。
かつて、この「四季」でクラシック部門のレコード売上げを何か月にも亘りトップであり続けたイ・ムジチ合奏団の脅威のセールスは、今もなお永遠のベストセラーとして語り継がれている。我が国に「四季」ブームを巻き起こしたのもこのイ・ムジチ合奏団だったし、ヴィヴァルディという作曲家をバッハに匹敵するほどメジャーにしたのもイ・ムジチ合奏団だった。当然、現在と当時のメンバーではメンバー構成は入れ替わり等あり異なっているだろうが、彼らの「イ・ムジチ」としての伝統は確実に受け継がれていると当日の演奏を聴いて感じることができた。
そのむかし、中学生か高校生くらいの頃、彼らのベストセラーを何度も聴きこみレコード盤が悲惨な状態になったことがあったが、そんな当時の苦い思い出も今回の演奏を聴き甦ってきた。
遠く40年以上前の話である。
その当時、ヴィヴァルディの音楽は、同じバロック時代とはいえバッハの音楽とは明らかに違っていることに、未熟ながら気付いていたのはわたしのチョッとした自慢である。だが、それがイタリアとドイツというお国柄の違いからくるものなのか、あるいは世俗社会と教会という身分的な要素に起因するものなのかといったところまでは考えは及ばなかった。
ただ、名曲を片っ端から聴いていた頃だから、そうしたクラシック音楽の微妙な違いを意識し始めるキッカケとなった音楽がヴィヴァルディの「四季」だったように思う。
この曲はヴィヴァルディの数あるヴァイオリン協奏曲集の「和声と創意の試み」と題された作品の第1集最初の4曲を切り離した形で演奏されることが通例になっていて、コンサートの演目でも、CDでもそういった単独で収録されることが多い。わたしたちが普段目にするCDなども、そうした形式で録音されているのがほとんどである。恐らくベートーヴェンの「運命」やメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲などに匹敵するほど、数多くのCDが現在までに発売されているはずである。
当日のイ・ムジチ合奏団の演奏は抑揚、緩急などメリハリがはっきりしていて実に歯切れの良い演奏だった。目を閉じて聴いていると四季それぞれの情景がテンポよく移り変わっていく様が見事だった。だが、意外にもこの「四季」という表題は、作曲者自身の命名ではないとのこと。
本来、描写音楽的に作られていたが、表題を付けるという慣習はその当時はあまりなかったのかもしれない。恐らくヴィヴァルディの音楽が当時としては先進的な試みだったのだろう。
当日のプログラムはこの「四季」をメインにヴィヴァルディの「2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 (調和の霊感)より」とコレッリの合奏協奏曲2曲で構成され、アンコールはなんと4曲もサービスしてくれた。そんなところにも彼らの誠実さが出ているように感じた。
今回のコンサートで一番の収穫は、同じバロックでありながらヴィヴァルディの音楽とコレッリの音楽とは明らかに相違していることをイ・ムジチ合奏団の演奏で明確に感じ取れたことだ。年代的にはコレッリの方が先輩格であり、ヴィヴァルディはコレッリやトレッリが確立しつつあった合奏協奏曲という形式を発展させていくのだが、同時代で同じアンサンブルでありながら放たれる音、響きはまったく別物と感じとれた。明らかにヴィヴァルディの音楽の方が洗練されていることが判る。普段CDなどではBGM的に聞いているこの時代の音楽だが、コンサートでじっくり聴いてみると、こうした違いが良く判り新たな発見に繋がり興味深い。
ヴィヴァルディは聖職にありながら、ヴェネチアの女子孤児院で音楽指導をしていたという変わった経歴を持っている。彼の作品のほとんどはこの女子合奏団の演奏のために作曲されたと言われているが、そうした彼の経歴を知ると「なるほど」と頷けること然りである。そのため、彼の音楽が「男性的か女性的か」といえば、女性的と感じるのは当然のことで、こうした彼の経歴に由来すると知れば納得がいく。そういえば、当日の会場も7割方女性で埋め尽くされていたは決して偶然ではないだろう。
因みに、ソロ・ヴァイオリンを担当しているアントニオ・アンセルミ(Antonio Anselmi)は典型的なイタリア人で見るからに女性受けしそうな風貌。女性ファンが多いのではと思っていたら、案の定、帰りのサイン会ではご婦人(?)たちの長蛇の列ができていた。あの風貌にあの躍動感溢れるヴァイオリンのテクニックが加われば当然のことかも知れないが・・・