MAURITSHUIS マウリッツハイス美術館展へ行ってきました
~オランダ・フランドル絵画の至宝~
わたしが初めてフェルメールの実物を観たのは確か「窓辺で手紙を読む女」という作品で、さらに話を遡るとフェルメールという画家を知ったのも、雑誌等に掲載された「窓辺で手紙を読む女」だった。正直、このときの雑誌の写真からは、特別なものはなにも感じなかった。
ところで、この「窓辺で手紙を読む女」の実物作品との出会いには面白いエピソードがある。
その出会いは、1974年、ドレスデン国立美術館所蔵の作品を展示した「ヨーロッパ絵画名作展」でのことである。場所は国立西洋美術館である。
わたしの記憶では、当時の我が国ではフェルメールはまだまだマイナーな存在だったように思っていたが、この時の公式図録をみると、確かにフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」が表紙を飾っていて、主催者側のウリはこの作品だったことに間違いはなさそうだ。どうやら、この頃からフェルメールブームは静かに始まっていたのかも知れない。
この頃は学生だったので、時間はいくらでもあり、絵画展へはよく出かけていたが、「ヨーロッパ絵画名作展」へはこの「窓辺で手紙を読む女」を観ることが目的だったのかどうか、その辺のことはほとんど自分自身でも記憶がないのだ。
ただ、この作品を見た瞬間の感動だけははっきりと覚えている。
当時、自分自身が大学生だったことを考えると、作品の良し悪し、歴史的背景云々はともかくとして、この作品全体が醸し出すオリジナリティーやエネルギーに圧倒されたのだと思う。それ以降、この作品をきっかけにフェルメールに興味を持っていくのであるから。
このように、この作品との出会いは偶然だったのか、必然だったのか、その辺りは未だに
定かでないが、こうした訳のわからぬ出会いこそ、世に云う「運命的出会い」というのだろうか?
「ちがうって!」と周囲からは否定の声が多いが、わたし自身は頑なに信じている。
冗談はさておき、話を本題に戻そう。
オランダ マウリッツハイス美術館が誇る17世紀オランダ、フランドル絵画のコレクションが東京都美術館にやってくるというニュースを知ったのは、確か4月はじめの朝日新聞紙上でのことだったと思う。
その後、早速公式サイトで前売り券を購入したが、美術館展が始まるのは3か月も先の話である。
とりあえず、いつ行こうか、開始当初は混むだろうし、8月は暑いだろうしと、あれこれ試案していたのだが、その時は確定ないまま月日は流れてしまった。
実は、その気になればいつでも行けると安心していたのだ。今思えば、甘い考えで反省しなければ・・・
やがて、開始日の6月30日も過ぎ、美術館展の様子もチラホラ耳に入るようになると、わたしの心境は穏やかではいられなくなった。連日長蛇の列、1時間、2時間待ちは当たり前などといった、頭を抱えたくなるような悲惨な情報が入ってきたからである。
さらに連日の猛暑と悪条件は重なり、考えただけでも頭はクラクラ熱中症寸前状態だった。
途端にわたしの行く気は薄れ、どうでもいいかと投げやりな気持ちになりかけたそのとき、一瞬わたしの脳裏を駆け抜けるものがあった。そう、あの真珠の耳飾りをつけた青いターバンの少女である。
「あのすべてを見透かすような瞳をして彼女が待っているというのに、行かない訳にはいかないだろう」とわたしの心境は一転。
結局、8月30日(木)に東京都美術館に足を運ぶこととなった。
朝6時に起き、開室の9時30分よりも前に到着を目標に出かけたのである。
幸い、多少並んではいたものの、列は流れていたので待つことなく入場することができた。
「大したことないじゃん!」と内心思いつつ、これも早起きのお陰と自分自身を褒めていた。
実は、後で分かったことだが、1日前の8月29日に来場者50万人を突破したという公式コメントがあったらしい。開幕から僅か54日での出来事である。単純計算で一日平均約一万人が入場したことになる。
そのためか、わたしが訪れた当日は開室時間が多少早められていたようである。
展示会場は「Ⅰ.美術館の歴史」「Ⅱ.風景画」「Ⅲ.歴史画(物語画)」「Ⅳ.肖像画とトローニー」
「Ⅴ.静物画」「Ⅵ.風俗画」の6つのカテゴリーに部屋分けされていて、この流れに沿って鑑賞していくことになる。
今回のお目当ては勿論、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」だが、この作品は「Ⅳ.肖像画とトローニー」の部屋に展示されていて、当日はここだけが順番待ち状態(間近で観たい場合)になっていた。
別名「青いターバンの少女」とも呼ばれるこの作品は、作品情報によると縦44.5cm、横39.0cmで、世界的名画の中でも小さい部類にはいるのだろう。
確かに、実際も小さな作品だったが、作品が放つ輝きは大きさを完全に超越していて、そのことで作品価値が損なわれるということはまったくなかった。(とかく、自分の想像よりも実際の作品が小さいと興醒めするということはよくあることだが・・・)
想像したより遥かに小さいこの作品が、どうして多くの人たちを惹きつけるのか。
ところで、この作品は「肖像画とトローニー」というカテゴリーに収められていたが、そもそもトローニーとは何だろう。あまり聞き慣れない用語だが、図録によると人物画の中でも特定できないモデルを描いたもので、独立したジャンルを形成しているとのことである。
写真のように人物を忠実に描くというよりも、人物の性格や内面に趣きを置き、それを如何に表現するかが重要なポイントだそうで、レンブラントが生涯にたくさんの自画像を描いたのもトローニーに拘っていたかららしい。
「真珠の耳飾りの少女」の実物作品を観て、モデルは誰だったのかという謎は、わたしの中で更なる好奇心へとエスカレートしたが、反面、真実を追及する虚しさも感じずにはいられなかった。
こうしたことを思い巡らすのも、実際に会場に足を運び、作品を目の当たりにすればこそと、ちょっと得をした気分で会場を後にした。
帰り、上野公園周辺をちょっと散策しました..................................
(2012/08/30 JD)
あの謎めいた瞳を見たいがために