30年前の映画音楽が何故いま・・・?
2020.07.17 公開
2020.09.09 更新
ここ数年クラシック界では興味深い現象がおきています。
まあ、それほど大袈裟なことではないのかもしれませんが、或いはわたしだけが感じていることなのかもしれません。
それは、「シンドラーのリスト」という30年近く前の映画音楽が最近注目されていることです。クラシック界のアーチスト、それもかなりメジャーなアーチストたちがCDアルバムに収録したり、ユーチューブに公開しているのです。
ユーチューブ上で「シンドラーのリスト」で検索すればコンテンツを簡単に見つけることができます。
オリジナルのサントラ盤ではクラシックヴァイオリン界の名手イツァック・パールマンがジャンルの垣根を超えて演奏していることからして、当時の製作陣の力の入れが容易に想像できます。
しかし、当時は映画としての評価が先行して、テーマ音楽への関心は今ひとつだったのかもしれません。
ところが近年になって、俄かにその音楽の素晴らしさが注目されるようになった。「30年ほど前の映画音楽が何故いま?」という素朴な疑問が気になります。
そこで、わたし独自の見解です。それは2014年の冬季オリンピック「ソチ大会」まで遡ります。このときロシアのあるフィギュアスケート選手がこの曲「シンドラーのリスト」メインテーマをバックに演技し金メダルを取った記録があります。その選手の名はユリア・リプニツカヤ。
このときの彼女の演技とバックに流れた曲の素晴らしさ、そして感動が話題となり、これをキッカケに「シンドラーのリスト」メインテーマは蘇り、現在に至っているというのがわたしの推理分析です。
ところで、音楽の世界ではカヴァー(cover)という分野があります。過去の曲を別の演奏者、歌手がアレンジを変えて新たな解釈で演奏するというものです。カヴァー曲がオリジナル曲を飛び越えて、ヒットした成功例はこれまでに洋の東西を問わずいくつもあります。
例えば、映画「ボディーガード」の主題曲「オールウェイズ・ラブ・ユー」は元々はカントリー歌手のドリー・パートンが作詞作曲し自ら歌いある程度のヒット曲にはなりましたが、ときの流れとともにそのナンバーは人々の記憶から忘れ去られていきます。それをホイットニー・ヒューストンが映画「ボディーガード」のなかで歌いカヴァー曲としてのビッグヒットとなりました。
或いは別の形態として、「スタンド・バイ・ミー」やクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などオリジナル曲をそのまま使い、CMソングに採用されたことで更に多くの人に知られるようになった曲など、過去に埋もれていた曲が復活したケースは多々ある訳です。(最近は曲が使い捨て傾向にあると感じている私としては、こうした傾向は大歓迎です)
こうしたリバイバル現象に似たことが、今回取りあげる「シンドラーのリスト」メインテーマにもあったのではと感じています。
アンネ=ゾフィ・ムター
彼女にいたっては上記のアルバムとは別バージョンで
もう一枚アルバムを出している。
映画「シンドラーのリスト」はホロコーストを扱った戦争映画で、史実に基づくドキュメンタリー性が強くマニアックだったために、映画を観る対象者が限定的だった。つまりテーマ音楽を聞いてもらえる人が少なかったのではないかということです。
その裏付けとして、1993年の映画興行成績では「シンドラーのリスト」は同年1位の「ジェラシックパーク」の3分の一にも満たなかったそうです。映画を観た人たちには映画の感動とともに曲の印象もそれなりにあったのでしょうが、それでもアピールできたのは映画を観た人に止まった訳です。
ところが、冬期オリンピックの舞台で披露されたことにより、全世界に向けてこの楽曲は発信された訳です。その差は歴然だったと思います。
オリンピック会場に集った観客、テレビ観戦していた世界中の人たち、その中にクラシック界のアーチストがいてもおかしくありません。
恐らく、そうしたアーチストたちの関心と共感を得たのではないかというのが私の推測です。
先述した「何故いまシンドラーのリストなのか?」という疑問に対する回答は、こうした流れにより、あのユリア・リプニツカヤのオリンピック以降、現在完了(進行)形で評価、演奏され続けてきたからというのがわたしの結論です。
いずれにしても、原曲が素晴らしくなければ、本来カヴァーの対象にもならないし、CMソングとしても採用されないというのは当たり前のことです。そこに再評価などありえない訳です。
リプニツカヤの素晴らしい氷上の演技とジョン・ウィリアムスのどこまでも美しい旋律が、「シンドラーのリスト」メインテーマを現在に蘇らせたのです。