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喋れるヴァイオリニスト千住真理子の「四季」をはじめて聴く





いくつかCDでは聴いていた千住真理子さんのヴァイオリンでしたが、今回はじめて生での演奏を聴くことができました。

当日のパンフレット
当日のパンフレット

当然のことながら、CDとコンサートホールでの生演奏とでは大きな違いがあるわけですが、彼女の演奏は思っていた以上に力強い演奏だったことがとても印象に残ります。

それともうひとつ意外だったのが、昨今の演奏家の中にあって「喋れる」演奏家だという発見です。
こんなところも彼女の魅力のひとつではと感じました。
要は、演奏はもとよりすべての面で気持ちに余裕があっての成せる業ということなんですね。

とにかく演奏家は演奏がすべてだからステージでのその他パフォーマンスは必要ないという考え方も一方にはあります。
しかしながら、曲目の解説や自身のその曲に対する取り組み方などファンとしては関心のあるところで、そんなプラスαのコメントがあると、一段とコンサートが興味深くなるのではと思ったりしています。

プロフィール
プロフィール

当日の会場を見渡せば高齢者もかなりの割合を占めていた、というよりも高齢者がほとんどだったと言った方が正確でしょうから、尚更、合間々々に説明が入るのは親切かと思います。

クラシックの演奏会はこうしたお年寄りによって支えられているのかと、改めて認識を新たにした次第です。
見方を変えれば、千住さんのキャラが高齢者のファンの心をつかんでいると言えなくもないですが・・・

いずれにしても、チョッとしたコメントが親しみやすいコンサートにしてくれるのは確かなようです。

さて、当日メインの「四季」の演奏についてですが、最近は過度にアクセントをつけた、絵画に例えるとエッジの効いたというかハイライトをつけ過ぎたような演奏が、この曲に関しては流行っているようですが、千住さんのは極めてオーソドックスな無難な演奏だったと思います。とは言え、要所要所にメリハリがありヴィヴァルディの「四季」の情感と迫力は十分感じられたものでした。

いたずらに、スピード感とダイナミックさだけを追い求めた昨今の「四季」の演奏スタイルには疑問を抱いていた私でしたので、この日の千住真理子さんの演奏には大変注目していました。
その意味で、大変に好感がもてる満足のいく演奏だったと思っています。

そう言えば以前、千住真理子さんの母親である千住文子さんが著した「千住家にストラディヴァリウスが来た日」という本を読んだことがあります。

「千住家にストラディヴァリウスが来た日」
千住文子 著「千住家にストラディヴァリウスが来た日」

ヴァイオリンの世界的名器として知られる「ストラディヴァリウス Stradivarius」。
その中でも幻のヴァイオリンと称された「ドゥランティ」と、ヴァイオリニスト千住真理子さんとの運命的な出会いから始まるこの本には、名器購入までの千住家の生々しい紆余曲折のドラマが綴られています。

億単位の買い物をするか諦めるかを決断するまでの人間の心理状況など私たち一般人では経験も想像もつかないところですが、本に書かれている以上の精神的プレッシャーだったことは間違いないでしょう。
そして、何よりも名器を手にしたいという彼女の執念と意志の強さを、読み終えて感じずにはいられませんでした。
それは、コンサート活動、講演会、ラジオのパーソナリティ、そして書籍の出版など現在の彼女の精力的な活動からも納得できるものですが、この日の演奏にもその辺りの力強さが現れていたように感じました。
恐らく、この出来事(高価な買い物をしたという事実)は彼女の生涯あるいはアーチスト人生にあって最大の分岐点になったといっても過言ではないでしょう。

これ以降、彼女の運命は大きく動き出したのです。
それがどちらの方向に動き出したのかは誰にもわからないことですが、彼女を更に力強くしたことは確かでしょう。
今後の動向を温かく見守りたいと思います。

最後に、当日共演した「スーク室内オーケストラ」についても若干触れておきたいと思います。
千住さんが「メンバーの一人一人がソリスト」とメンバー紹介していた通り、確かな技量と弦の響はとても繊細だったように思います。
特に冒頭のグリーグの「ホルベアの時代から」の5曲辺りにその繊細さと余裕を感じました。
リーダーでありコンサートマスターのマルティン・コス氏は経歴通りの実力者で、無名(知らなかったのは私だけかもしれませんが)でも、世界にはこうした素晴らしい演奏ができる人がまだまだたくさんいるんだな~と感心しました。

イ・ムジチ合奏、サンクトペテルブルグ室内合奏団、そして今回のスーク室内オーケストラといい、フル・オーケストラの迫力とはまた異なった室内合奏団の魅力にこのところハマっています。

当日の曲目
当日の曲目

ちなみに、この日のアンコール曲は、アンコール曲としては定番のフリッツ・クライスラーの「愛の喜び」でした。

心温まるひと時 仲道郁代デビュー30周年記念 ピアノ・リサイタル





仲道郁代 30周年記念リサイタル
Ikuyo Nakamichic 当日のプログラムより

気が付けば今年も12月。
ひところの寒さは和らいだものの、冬の訪れは一歩一歩確実に近づいているようです。
思えば、こんな寒い季節になると何故かコンサート会場へ足を運ぶことが多い私たち夫婦。でも、昨日(12/3)は「仲道郁代さんのコンサート」に私一人の単独行動でした。正直なところ、私の奥さんにとっては今回のプログラム内容はハードルが高かったようです。

Ikuyo Nakamichicコンサート
Ikuyo Nakamichic プログラム内容

さて、この日のコンサート、プログラム冊子にもあるように仲道さんのデビュー30周年記念ということもあり、曲目は仲道さんの「マイ・フェイヴァリット」ソングで構成されていました。
そんな中、コンサート前半にチョットしたサプライズがありました。
それは、予定のプログラムにはなかったのですが、どうしても彼女が演奏したいということで、ピアノ練習曲としては超有名なモーツァルトの「ピアノソナタ K.545 ハ長調」の飛び入り演奏でした。
彼女の30周年記念というイベントに対する強い思い入れとファンを思う温かい気持ち(サービス精神)がこんなところにも現れていて演奏ともども感動した次第です。

Ikuyo Nakamichicプロフィール
Ikuyo Nakamichicプロフィール

一般的なクラシックのコンサートでは、演奏者がはじめの挨拶をした後は淡々と予定曲を演奏しフィナーレを迎えるというのが普通ですが、彼女のコンサートは演奏の合間に必ず楽曲の説明や、その曲にまつわるご自身のエピソードを交えてくれるのが特徴で、私たち聴衆にとっては分かり易くとても嬉しいことです。
そのため、仲道さんの演奏会は一方的にならず、打ち解けた雰囲気のまま、終始何とも言えぬ清々しさに包まれるのです。何とも後味の良い瞬間だといつも思っています。

この日も、幼少のころのショパンのポロネーズの思い出や、学生時代に練習しても練習しても上手く演奏できなかったリストの「メフィスト・ワルツ」という楽曲のことなど、貴重な体験談を聞くことができました。
仲道さんのコンサートはそんな魅力でいっぱいです。

彼女の演奏の素晴らしさは勿論のこと、彼女の人間としてのチャーミングさにも心惹かれ、次回も必ず行きたくなる、そんな演奏家のひとりです。

ちなみに、当日のアンコール曲は

  • ショパン:12の練習曲 作品10 第12曲<革命>
  • ショパン:12の練習曲 作品10 第4番<別れの曲>
  • エルガー:愛の挨拶

2016年12月3日

充実の2時間 ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタルを聴く





Hilary Hahn
Hilary Hahn

ヒラリー・ハーンを実際に見るのは今回が初めてです。
もう彼女も30代半ばというのに、ステージに現れたその容姿はあどけなく華奢で、それでいて優雅さを感じました。

当然のことですが、見慣れたCDジャケットと同じ彼女が、目の前のステージに立っていることに何故か安心感を覚えました。
そして、あの細い身体でありながら、あの驚きのパワーはどこから来るのかと感心しました。。
そんなところが昨日のヒラリー・ハーンの第一印象でした。

Hilary Hahn ヒラリー・ハーン
ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル ビラ

この日のプログラムは前半がモーツァルト、バッハといった古典ものに対し、後半はガラッと変わって現代曲がならんでいます。
こうした趣向は彼女がここ数年目指している特徴で、最近のCD作品やコンサート・プログラムでも披露されているものです。

彼女がもつ完璧なまでの演奏テクニックと力強さは、私が持つCD等で十分解っていましたが、ステージでの彼女の演奏では、
更なるきめ細かさと流麗さをはっきりと聴き取ることができました。

はるか彼方から聞こえてくる微かな音が、次第に音量を増し頂点に。
それはあたかも闇の向こうから近づいてくる得たいが知れない何かのようで、実にスリリングです。
彼女の最大の聴かせどころかもしれません。
音の大小、強弱の表現が実に上手いと感じました。

また、私は音楽評論家ではないので詳しいことはわかりませんが、
メロディーを歌わせるというか、流れるような旋律の部分ではとても滑らかに流麗に弾きこなします。
その意味では、今回プログラムになかった「シャコンヌ」など聴きたかった作品です。
(2013年のコンサートでは圧巻の演奏を披露したようで実に残念。)

当日は彼女のほか、ピアノ伴奏のコリー・スマイスだけという演奏構成の上、プログラム構成もバッハ、モーツァルト作品があるとはいえ比較的マイナーな作品と現代曲という組み合わせでしたから、途中なか弛みがあってもやむを得ないところを、彼女は持前の表現の多彩さとメリハリといった演奏テクニックで乗り切ったように思いました。
例えば、予定プログラム最終曲のティナ・デヴィッドソン作曲の「地上の青い曲線」は私は初めて聴く曲でしたが、ピチカートの珍しい奏法を披露してくれるなど、見せ場をチャンと心得ていたようです。

ヒラリー・ハーン プログラム
ヒラリー・ハーン 当日の曲目

恐らく彼女はこのプログラムに自信があったのでしょう。
その証拠に、アンコール曲含め約2時間のステージはアッという間に過ぎたというのが実感でしたから。

この日のカラフルでキュートなステージドレスとは対照的に、彼女の演奏にはひやりとしたスチールの剣を思わせる輝きと、鋭さと、美しさが同居しているようで、何とも印象深い充実のコンサートでした。

2016年6月13日

コンサートに於けるアンコールの在り方




さすが、NHK交響楽団
指揮者、トゥガン・ソヒエフの今後に注目!

最近のコンサートを観ていて、とても気になることがひとつある。
それは、アンコール演奏の在り方である。昨今のコンサートではアンコール演奏はプログラムの一部と化している。
あって当然という意識が演奏者、観客の両者にあるように思えて違和感さえ覚える。
本来のプログラムが終わるや否や、ブラボーの掛け声とともに万来の拍手が起こり、指揮者やソリストの数回にわたる出入りと挨拶を繰り返すお決まりのパターン。
そして最近では、そのあとに必ずアンコール曲がプラスされるというパターンが、概ねどのコンサートでも行われている。

そもそもコンサートに於けるアンコールという風習がいつ頃から始まったのか。
そんなことを改めて調べたことはないが、要は演奏者のサービス精神からきているのは確かであろう。
その意味では、当初はとても純粋な心遣いだったに違いない。

1、2曲余計に聴けるのだから誰しも得したと考えるのは当然だが、ここでへそ曲がりなわたしとしては納得がいかない。

そもそも、演奏家が予定の曲目を手応えある形で演奏できていれば、その日コンサートホールに足を運んでくれた聴衆に対して十分サービスしたことになるし、それで十分だと個人的には思うからだ。
しかし、最近ではアンコールがあることが前提という考え方がこの業界には蔓延しているように思える。

何度かコンサートを経験すると、その場の雰囲気というものを感じ取れるようになる。聴衆の立場からすると、惹き込まれるような演奏を聴けたとき。
演奏家にとっては、十分に納得いく演奏が果たせたとき。
よくいう演奏者と聴衆が一体になった時というのがこうした状況といえるのでしょう。

そんなとき、会場は自然発生的にアンコールを求めるもので、それは演奏家、聴衆両者が気持ちの上で同期状態になったからこそ起こり得る現象の筈だ。
(はじめからアンコールというレールが引かれていては興ざめしてしまう)
だが、そうしたすばらしい演奏会には、めったにお目にかかれないのが現実。

ところが、先日そうした数少ない貴重な演奏会に巡り会えたので紹介したいと思う。
でも、そこでは不思議なことに(後々考えると不思議ではないのだが)、アンコールは行われなかったのである。

去る2016年1月23日(土)
場所はみなとみらいホール。
NHK交響楽団の2016横浜定期演奏会でのことである。

2016NHK交響楽団
NHK交響楽団

プログラム内容は上のパンフレットの通りだが、この日の圧感はプログラム最後の「白鳥の湖」だった。

ルーカス・ゲニューシャスのピアノによるラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」もゆったりと堂々とした演奏で、作曲家ラフマニノフの曲調を十分に表現した名演だったが、それにも増してすばらしかったのがチャイコフスキーの「白鳥の湖」抜粋だった。

正直なところ、「白鳥の湖」のようなバレエ組曲をコンサート会場で(自宅のオーディオでも)聴くことは最近では滅多にない事だが、じっくりと聴いてみると、改めてメロディーメーカーとしてのチャイコフスキーの天性と偉大さに感心する。クラシック音楽の原点を再認識させられた思いだった。

ややもするとポピュラーすぎて軽く聞き流されがちなこの曲を、この日のN響は全力で演奏していた。その迫力はフィナーレで最高潮に達し、指揮者のトゥガン・ソヒエフも最高のパフォーマンスを発揮。演奏終了時は満足そうな表情を浮かべたものの、身体はフラフラ状態だった。
そんな演奏に対し、もちろん会場は万来の拍手喝采状態だった。

いつまでもアンコールを求める拍手が鳴り止まなかったが、指揮者のトゥンガ・ソヒエフはアンコールに応じることはなかった。
コンサートマスターの篠崎氏もトゥンガ氏に声をかけ、アンコールを促している様子だったがそれでも応じることはなかった。

一見、このときにとった彼の行為は、素っ気なく観客に対して失礼な対応のように感じられたかもしれないが、わたしは寧ろ勇気ある行動に感心した。

表情豊かで、動きの激しい彼の指揮ぶりでは、演奏後疲れ果ててしまったのも尤もで、さらにこの日の演奏はいつも以上に気合が入っていただけに、体力の限界だったに違いない。
アンコールがなかったのは無理もないことで納得できた。
その証拠に聴衆の中に落胆の表情は全く見受けられず、満足顔の人たちが目立っていたからだ。

逆に、あのとき不本意なアンコールを行っていたら、それまでの「白鳥の湖」の熱演もアンコール曲共々台無しになっていたかも知れない。
指揮者のトゥンガ氏は自身の体力とともに、そうした結果を十分に察知していたのだと思う。「あれで良かったのだ。」と思ったのはわたしひとりではなかったはずだ。

昨今のコンサートに於けるアンコールの在り方に、少なからず疑問を抱いているわたしとしては、彼の勇気ある行動にエールを送りたい気分だった。
将来、期待でき、応援したくなるマエストロのひとりである。

NHK2016パンフ演奏家紹介
NHK2016パンフ演奏家紹介

演奏者と聴衆、一期一会の出会いの中で繰り広げられる演奏。その演奏がすばらしければすばらしいだけ聴衆は惜しみない喝采を演奏家に送り、褒め称えるのは自然なことだ。
そして、必ずしもそうした拍手喝采が、アンコールを求めるだけのものではないと言うことを、この日のコンサートはわたしたちに教えてくれたように思う。

要するに、アンコールをするかしないかは、その場の状況やその時の成り行きなどで、瞬間的に判断されるものであってほしいと思うのだ。
自宅でのCD鑑賞とコンサート会場での生演奏との決定的な違いは臨場感など音に関係する違いであることは勿論だが、こうした会場でのワクワク感、緊張感もコンサート会場にいなければ味わえない魅力であり、それこそコンサートに期待するものだ。

Ave Maria in Christmas  サンクトペテルブルグ室内合奏団





去る12月23日、「クリスマス/アヴェ・マリア」と題したクリスマス・コンサートに行ってきました。

みなとみらいホール前のクリスマスツリー
みなとみらいホール前のクリスマスツリー

ロシアのサンクトペテルブルグ室内合奏団とマリーナ・トレグボヴィッチ、ナタリア・マカロフの二人のソプラノによる豪華競演でした。

注目は、数あるアヴェ・マリアのなかでも三大アヴェ・マリアと言われているJ.S.バッハ(グノー編曲)、シューベルト、カッチーニの作品を一度に聴けること。

バッハとカッチーニのアヴェ・マリアをナタリア・マカロフさんが前半に、後半マリーナ・トレグボヴィッチさんがシューベルトのアヴェ・マリアを熱唱されました。どれも美しい旋律を持った名曲ですが、その中でもカッチーニ作曲のアヴェ・マリアは哀愁を帯びた旋律が深く心を打ち涙を誘います。ソプラノのナタリア・マカロフさんはまだ29歳とのこと、でも、その歌唱力、落ち着きはベテランを思わせ堂々としたもので、この名旋律をドラマチックに謳い上げていました。

STPETERSBURG_Xmas
パンフレット 表
STPETERSBURG_Xmas_2
パンフレット 裏

パンフによれば、サンクトペテルブルグ室内合奏団はクラシック音楽の他にも、ジャズや映画音楽をレパートリーとしているというコメントがあったのですが、この日の演奏は極めてクラシックの正統派の演奏だったと思います。楽譜にとても忠実な演奏だったのが意外でしたが、好感が持てました。臨機応変の対応ができるこの合奏団の技量は奥深いと言えます。

なかでも、コンサートマスターのイリヤ・ヨーフさんは表情豊かな方で、おどけた顔を何度もしてクラシックの演奏家では異色ですが、ヴァイオリン演奏の実力は確かなものがあると感じました。指揮のお仕事とソロ演奏を見事にこなし、ジャンルによって演奏形態を自由に変化させることができるのはその証でしょう。

ヴィヴァルディの「四季」は季節柄、この日は「冬」だけの演奏でしたが、このサンクトペテルブルグ室内合奏団で、すべて聴いてみたい気持ちになったほどです。それと、ジャズや映画音楽についてもどんな演奏をするのか興味深いところです。

この日のコンサートは誰もが知っている馴染みの曲を集め、敢えてクリスマス・ソングのオンパレードにしなかったプログラム構成が上手く計算されていた印象でした。
クリスマス・ソングは楽しい曲、美しい曲と名曲がいっぱいですが、その連続演奏を一方的に聴くのでは疲れてしまい、コンサートとしては相応しくないように感じます。その意味で、選曲についてはとても良かったと思います。

当日のプログラム
当日のプログラム

いわゆるクリスマス・ソングは、「きよしこの夜」がアンコールで披露されたくらいで、多くはクリスマスソングではないけれどクリスマスをイメージできる曲で構成され、通常のコンサートとしても十分満足できる2時間にしていたように思いました。

コンサートを聴き終えて、爽やかな気分と豊かな気持ちになれたのは、わたし一人ではなかった筈です。

名門チェコ・フィルを聴く

去る11月3日文化の日、名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の音の素晴らしさに堪能してきました。指揮は2012年にこのオケの首席指揮者に復帰したイルジー・ビエロフラーヴェク。場所は横浜みなとみらいホール、曲目は以下の通りです。

・ スメタナ : シャールカ ~連作交響詩「わが祖国」より
・ メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲 op.64
  庄司紗矢香(ヴァイオリン)
・ ドヴォルザーク : 交響曲第9番「新世界より」op.95

チェコ・フィル&ビエロフラーヴェク&庄司紗矢香
チェコ・フィル&ビエロフラーヴェク&庄司紗矢香 コンサートビラ

 

チェコ・フィルと聞いてまず思い起こすのは、やはりラファエル・クーベリック、カレル・アンチェル、ヴァツラフ・ノイマンといった歴代のチェコ人名指揮者による母国作曲家作品の名演奏です。
残念なことに、彼らの演奏を生で聴くことはできませんでしたが、数々のCDでもその熱気は充分感じ取ることはできます。

母国作曲家の作品への愛着という点では、どのオーケストラも同じでしょうが、その中でもチェコ・フィルは特別なものがあります。
それは言うまでもなく、この国とこのオーケストラが辿った歴史的悲劇に起因しているのでしょうが、それ故にオーケストラメンバーひとりひとりの自信と力強さを演奏の中にはっきりと感じ取ることができます。

歴史的悲劇といえば、指揮者もまたその例外ではありません。
記事の冒頭、今回の指揮者イルジー・ビエロフラーヴェクが「首席指揮者に復帰」と記したのも、1990年代初めの内紛による影響で彼はそれまでの首席指揮者としての職位の辞任を余儀なくされ、その後2012年に再度就任という経過があったからです。

以前、テレビで1964年の東京オリンピック、女子体操個人総合などで金メダルをとったベラ・チャスラフスカさんのドキュメンタリー番組を観たことがあります。彼女もチェコ(当時はチェコスロバキア)人として時代というか政治というか、そうした国家の情勢に翻弄されたひとりですが、彼女と同様の苦難が指揮者イルジー・ビエロフラーヴェク氏にもあったということは不勉強ながらこれまで知りませんでした。

そうした暗い過去を背負ったチェコ・フィルですが、当日は活き活きとしたスメタナ、ドヴォルザークを聴かせてくれた気がします。なかでも、オーケストラの各メンバーの表情は意外なほど明るく、何か救われた思いでした。

それとは対照的に、庄司紗矢香さんのメンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲はチョッと元気がなかったような印象です。細部にわたる木目の細かさ、弱音での丁寧さなど技術的には高い評価を受けるでしょうが、残念ながらこの日の演奏では音の線が全体的に細かったように感じます。
演奏は体調など微妙に影響するものですからいたしかたありません。
次回に期待したいところです。

とは言え、チェコ・フィルの手馴れた演奏とこちらも聴きなれた曲目ということで、演奏者、観客とも肩肘張らずリラックスした時間を共有できたように感じます。殊のほか女性メンバーの表情の豊かさと自由奔放な演奏振りがこの国チェコの現状を象徴しているようで、微笑ましい限りです。演奏を聴きつつ、精神的不安や緊張が知的生産や芸術活動に如何に悪影響を及ぼしているかを確信しました。今のこうした落ち着いた情勢がいつまでも続くことを願わずに入られません。

それにしても指揮者イルジー・ビエロフラーヴェク氏のサービス精神ぶりには何とも感動の一言です。アンコールで3曲も演奏していただいたのですから。彼が親日家かどうかは分かりませんが、聴衆を大切にするというその思いは充分伝わってきたように思います。