最近突然に、光学ドライブが認識されなくなった


最近、自宅のネットワークLANでデバイスの表示が中途半端だったので、
ネットワークアダプターの状況を確認するためデバイスマネージャーの画面を開いたところ、「DVD/CD-ROMドライブ」の項目に黄色の感嘆符「!」が付いていることに気が付きました。

デバイスマネージャー

早速、当該デバイスのプロパティを調べたところ、通常なら「このデバイスは正常に動作しています。」とあるところ、今まで見たことのない次のようなエラーメッセージが表示されていました。

「レジストリ内の構成情報が不完全であるか、または壊れているためこのハードウェアデバイスを開始できません。(コード19)」

確かに、その後BLU-RAYドライブのトレイにディスクを入れても何の反応もなく、エクスプローラー上でも本来表示される筈のデバイスのドライブレター(K:などの表示)が消えていました。

ここ最近の当該パソコンの使用状況を考えても原因が思いつきません。
気になることと言ったら、Windows7からWindows10にアップグレードしたことぐらい。
でも、それは昨年11月下旬のことで、それ以後何度もこの光学ドライブは使用していて、その間別段の不具合はなかったはず。

ネットで調べてみると、iTunesが何らかの影響をしている云々の記事があったが、最近は当該パソコンでiTunesを扱ったことはないので、iTunesは関係なさそうだ。

次に、エラーコードで検索してみるとマイクロソフトのサポートに詳しいページがあり、事例的にもわたしのケースに当てはまるので、この対応方法を参考にしました。

https://support.microsoft.com/ja-jp/kb/314060
サポートページはWindows8、あるいはWindows8.1を例に説明していますが、私の場合、Windows10ですが基本的には同じと判断し試してみました。

結論から言うと、OKでした。
操作後、BLU-RAYドライブはエクスプローラー上に認識され、デバイスマネージャー画面の感嘆符は消えていました。

但し、レジストリというWindows内の最も重要な情報を格納したデーターベースを操作するので、事前のレジストリーのバックアップと取り扱いには十分注意が必要です。
それでは、Windows10での作業手順をまとめておきます。

<作業手順>
1.レジストリーエディターを開く



PC画面、左下のウィンドウマークウインドウズマークを右クリック⇒開いた画面から「ファイル名を指定して実行」をクリックします。

エクスプローラー1
⇒開いた画面の名前欄に「regedit」と半角英数字で入力し「OK」をクリックします。

エクスプローラー2
「ファイル名を指定して実行」画面

2.「ユーザーアカウント制御」画面が出るので「はい」ボタンをクリックすると「レジストリーエディター」画面が表示される。

regedit画面1
「レジストリーエディター」画面

3.「レジストリーエディター」画面の左画面で次のレジストリーサブキーを開きます。

HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Control\Class\{4D36E965-E325-11CE-BFC1-08002BE10318}

4.上記レジストリーサブキーの最後尾の{4D36E965-E325-11CE-BFC1-08002BE10318}をクリックすると、右画面にいくつかのエントリが表示されるので、その中から次のエントリを探し削除します。

regedit画面2
UpperFilters は元々なかったので、LowerFiltersエントリの方だけ削除します。

UpperFilters ・・・このエントリは私の場合最初から存在しませんでした。

LowerFilters ・・・削除を確認するメッセージが表示されますので「はい」をクリックし、削除します。

5.レジストリーエディターを終了します。

6.PCを再起動します。

7.PC起動後、デバイスの状況を確認します。

デバイスマネージャー2
デバイスマネージャーに当該ドライブが正常に表示されている。
エクスプローラー3
エクスプローラー上もK:ドライブとして表示されています。

ちなみに、作業終了後、念のため再度「レジストリーエディター」を開き、レジストリーサブキーがどうなっているか調べたところ、
「UpperFilters」の方は相変わらず存在しませんでしたが、「LowerFilters」の方は復活していました。恐らく一旦削除し再起動によって完全な状態に回復したのだと思われます。

とりあえず、トラブルはお陰さまで解決しましたが、原因については明らかにはなっていません。Windows10にアップグレードしたことは、ほとんど関係ないと思いますが、その辺も定かではありません。
原因について考えを巡らしていた時、ひとつのことを思い出しました。
それは、iTunesのアップデートです。確かにこの間iTunesを当該のパソコンで開いてはいませんが、「*.*バージョンが利用できます」と言ったアップデートのお知らせでファイルをダウンロードし更新したような気がします。
詳しい日程等は覚えていませんが、その辺りが影響したのかもしれません。

コンサートに於けるアンコールの在り方




さすが、NHK交響楽団
指揮者、トゥガン・ソヒエフの今後に注目!

最近のコンサートを観ていて、とても気になることがひとつある。
それは、アンコール演奏の在り方である。昨今のコンサートではアンコール演奏はプログラムの一部と化していて、あって当然という意識が演奏者、観客の両方にあるところが問題のように思える。最近は違和感さえ覚えるようになってきた。
本来のプログラムが終わるや否や、ブラボーの掛け声とともに万来の拍手が起こり、指揮者やソリストの数回にわたる出入りと挨拶が繰り返される。
その後アンコール曲が披露されるというお決まりのパターンが、概ねどのコンサートでもルーチン業務のように行われているのが現状であろう。

そもそもコンサートに於けるアンコールという風習が始まったのが何時なのか、
どうして行われるようになったのかなど、そんなことを改めて調べたこともないが、
要は演奏者のサービス精神からきているのは確かであろう。
その意味では、当初はとても純粋な心遣いだったに違いない。

1、2曲余計に聴けるのだから誰しも得したと考えるのは尤もなことであろうが、ここでへそ曲がりなわたしとしては納得いかないところがでてくるのである。

それは、演奏家が予定の曲目を手応えある形で演奏できていれば、その日コンサートホールに足を運んでくれた聴衆に対して十分サービスしたことになるし、それで十分だと個人的には思うからだ。
しかし、最近の現状はアンコールがあることが前提という考え方がこの業界にウィルスのごとく蔓延しているように思える。
形式的に数曲披露されるのは、わたしとしては不自然な儀式をみているようで、とても滑稽に感じてしまうことがしばしばである。

いくつかのコンサートを聴きに行くと、そのときの雰囲気というものを感じ取れるのではないだろうか。あのフィナーレに近い段階での言葉では言い表せない場の雰囲気を(以前流行ったKYそのもの)。

聴衆の立場からすると、惹き込まれるような演奏を聴けたとき。
演奏家にとっては、十分に納得いく演奏が果たせたとき。
よくいう演奏者と聴衆が一体になった時というのがこうした状況といえるのでしょうが。
そんなとき、会場は自然発生的にアンコールを求めるもので、それは演奏家、聴衆両者が気持ちの上で同期状態になったからこそ起こり得る現象の筈だ。
(はじめからレールが引かれていては興ざめしてしまうが)
だが、そうしたすばらしい演奏会にはめったにお目にかかれないのが現実というもの。

ところが、先日そうした数少ない貴重な演奏会に巡り会えたので紹介したいと思う。
でも、そこでは不思議なことに(後々考えると不思議ではないのだが・・・)アンコールは当然の盛り上がりがあったにも拘らず、アンコールは行われなかったのである。

去る2016年1月23日(土)
場所はみなとみらいホール。
NHK交響楽団の2016横浜定期演奏会でのことである。

2016NHK交響楽団
NHK交響楽団

プログラム内容はパンフレットの通りだが、この日の注目はプログラム最後の「白鳥の湖」だった。
ルーカス・ゲニューシャスのピアノによるラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」もゆったりと堂々とした演奏で、作曲家ラフマニノフの曲調を十分に表現した名演だったが、それにも増してすばらしかったのがチャイコフスキーの「白鳥の湖」抜粋だった。

正直なところ、「白鳥の湖」のようなバレエ組曲をコンサート会場で(自宅のオーディオでも)聴くことは最近ではほとんどなくご無沙汰だったが、じっくりと聴いてみると、改めてメロディーメーカーとしてのチャイコフスキーの偉大さとクラシック音楽の原点を再認識させられた思いだった。

ややもするとポピュラーすぎて軽く聞き流されがちなこの曲を、この日のN響は全力で演奏していた。その迫力はフィナーレで最高潮に達し、指揮者のトゥガン・ソヒエフも最高のパフォーマンスを発揮、演奏終了時、満足な表情を浮かべたものの、身体はフラフラ状態だったように見受けられた。
そんな演奏に対し、もちろん会場は拍手喝采状態。

いつまでもアンコールを求める拍手が鳴り止まなかったが、指揮者のトゥンガ・ソヒエフはアンコールに応じることはなかった。
コンサートマスターの篠崎氏もトゥンガ氏に声をかけ、アンコールを促している様子だったがそれでも応じることはなかった。

一見、このときにとった彼の行為は、素っ気なく観客に対して失礼な対応のように感じられたかもしれないが、わたしとしては寧ろ勇気ある行動に思えた。
表情豊かで、動きの激しい彼の指揮ぶりでは、演奏後疲れ果ててしまったのも尤もで、さらにこの日の演奏は気合が入っていただけに、限界だったに違いない。アンコールがなかったのは無理もないことで納得できた。
その証拠に聴衆の中に落胆の表情は全く見受けられず、満足顔の人たちが目立っていたからだ。

逆に、あのとき不本意なアンコールを行っていたら、それまでの「白鳥の湖」の熱演もアンコール曲共々台無しになっていたかも知れない。
指揮者のトゥンガ氏は自身の体力とともに、そうした雰囲気を十分に察知していたのだと思う。「あれで良かったのだ。」と思えるのはわたしひとりではないた筈。そう信じたい。
昨今のコンサートに於けるアンコールの在り方に、少なからず疑問を抱いているわたしとしては、彼の勇気ある行動にエールを送りたい気分だった。
将来、期待でき、応援したくなるマエストロのひとりである。

NHK2016パンフ演奏家紹介
NHK2016パンフ演奏家紹介

演奏者と聴衆。一期一会の出会いの中で繰り広げられる演奏。その演奏がすばらしければすばらしいだけ聴衆は惜しみない喝采を演奏家に送り、褒め称えるのは自然なことだ。
でも、「必ずしもそうした拍手喝采が、アンコールを求めるだけのものではない」と言うことをこの日のコンサートはわたしたちに教えてくれたように思う。

要するに、アンコールをするかしないかは、その場の状況やその時の成り行きなどで、瞬間的に判断されるものであってほしいと思うのだ。
自宅でのCD鑑賞とコンサート会場での生演奏との決定的な違いは臨場感など音に関係する違いであることは勿論だが、こうした会場でのワクワク感、緊張感も大きな違いだと思うのだが・・・

Ave Maria in Christmas  サンクトペテルブルグ室内合奏団





去る12月23日、「クリスマス/アヴェ・マリア」と題したクリスマス・コンサートに行ってきました。

みなとみらいホール前のクリスマスツリー
みなとみらいホール前のクリスマスツリー

ロシアのサンクトペテルブルグ室内合奏団とマリーナ・トレグボヴィッチ、ナタリア・マカロフの二人のソプラノによる豪華競演でした。

注目は、数あるアヴェ・マリアのなかでも三大アヴェ・マリアと言われているJ.S.バッハ(グノー編曲)、シューベルト、カッチーニの作品を一度に聴けること。

バッハとカッチーニのアヴェ・マリアをナタリア・マカロフさんが前半に、後半マリーナ・トレグボヴィッチさんがシューベルトのアヴェ・マリアを熱唱されました。どれも美しい旋律を持った名曲ですが、その中でもカッチーニ作曲のアヴェ・マリアは哀愁を帯びた旋律が深く心を打ち涙を誘います。ソプラノのナタリア・マカロフさんはまだ29歳とのこと、でも、その歌唱力、落ち着きはベテランを思わせ堂々としたもので、この名旋律をドラマチックに謳い上げていました。

STPETERSBURG_Xmas
パンフレット 表
STPETERSBURG_Xmas_2
パンフレット 裏

パンフによれば、サンクトペテルブルグ室内合奏団はクラシック音楽の他にも、ジャズや映画音楽をレパートリーとしているというコメントがあったのですが、この日の演奏は極めてクラシックの正統派の演奏だったと思います。楽譜にとても忠実な演奏だったのが意外でしたが、好感が持てました。臨機応変の対応ができるこの合奏団の技量は奥深いと言えます。

なかでも、コンサートマスターのイリヤ・ヨーフさんは表情豊かな方で、おどけた顔を何度もしてクラシックの演奏家では異色ですが、ヴァイオリン演奏の実力は確かなものがあると感じました。指揮のお仕事とソロ演奏を見事にこなし、ジャンルによって演奏形態を自由に変化させることができるのはその証でしょう。

ヴィヴァルディの「四季」は季節柄、この日は「冬」だけの演奏でしたが、このサンクトペテルブルグ室内合奏団で、すべて聴いてみたい気持ちになったほどです。それと、ジャズや映画音楽についてもどんな演奏をするのか興味深いところです。

この日のコンサートは誰もが知っている馴染みの曲を集め、敢えてクリスマス・ソングのオンパレードにしなかったプログラム構成が上手く計算されていた印象でした。
クリスマス・ソングは楽しい曲、美しい曲と名曲がいっぱいですが、その連続演奏を一方的に聴くのでは疲れてしまい、コンサートとしては相応しくないように感じます。その意味で、選曲についてはとても良かったと思います。

当日のプログラム
当日のプログラム

いわゆるクリスマス・ソングは、「きよしこの夜」がアンコールで披露されたくらいで、多くはクリスマスソングではないけれどクリスマスをイメージできる曲で構成され、通常のコンサートとしても十分満足できる2時間にしていたように思いました。

コンサートを聴き終えて、爽やかな気分と豊かな気持ちになれたのは、わたし一人ではなかった筈です。

リカバリー後のWindows7、シャットダウン後の更新プログラムに苦しむ


2010年6月ころに買ったDELLのデスクトップPC「Studio XPS 9000」
OSは当時 Windows7でしたが、途中でWindows 8へアップグレード。
その後、最近になりCPUおよび電源の冷却ファンの暴走が頻繁に発生。
また起動後、突然に再起動をしたりと、かなり不具合が目立ってきたので、この際思い切ってリカバリーを決行することにしました。
それが11月はじめのことです。
これはそのときの作業記録ですが、主は大量蓄積したWindows の更新プログラムの対処方法です。

TL;DR

これまでの使用で、HDDはかなりガタが来ている印象があったので、HDD交換の上でのリカバリーの試みとなりました。
購入したのはウェスタンデジタル製HDD(WD Blue 1TB 3.5インチ 7,200rpm)です。
というか、PCショップ、家電量販店へ行っても、内臓HDDの製品自体が少なく、選択肢が余りなかったのが何ともショック。

リカバリー作業は購入当初リカバリーディスクを作成しておいたので思ったよりも容易に完了しました。
一番心配だったのは、新規購入HDDとStudio XPS 9000の相性問題だったのですが、こちらも難なくクリアしました。

そんな訳で、リカバリー作業は思いのほか順調で、次の課題はパソコンをできるだけリカバリー前の環境に戻すことです。
以前入っていたアプリケーション、フリーソフト類の選別と具体的なインストール作業へ進みます。
蛇足ですが、このソフト類のインストールで一番厄介だったのがセキュリティーソフトでした。

自分の場合、ニフティ系の「常時安全セキュリティー24」というネット系サービスのセキュリティを利用しています。
このソフトは専用アプリを自分のパソコンにインストールすれば、通常デフォルトで利用可能なのですが、そのインストール作業でつまずきました。
結果的にはサポートに電話し解決したのですが、その原因はニフティーのホームページ上で公開しているダウンロードソフトが新し過ぎたことでした。
世間ではWindows8.1やWindows10対応の時期ですから、無理もありません。
現在公開中のアプリのバージョンではWindows7は非対応で、正常にインストールできないことだったのです。
よって、旧バージョンのダウンロードでこの問題は一件落着。

比較的順調だったのはここまでで、その後思いも由らぬ苦難が待ち受けていたのである。
それはWindowsの更新プログラムだったのです。
このトラブル対応では通算して5日間くらい無駄な(?)時間を費やしたことになりました。

さて、それではその全容をご紹介します。
先ずことの始まりは、日ごろのパソコン操作では当たり前のシャットダウンでした。
その日も、いつものようにパソコン作業を終え、シャットダウンをしたのですが、
なんと更新プログラムが2**個(正確な数は記録しなかったので定かでありません)ありますというメッセージ付でした。
数は多いと思ったものの、初めて見るメッセージではなかったので、夜も遅かったためディスプレイの電源を切りその日は寝てしまいました。

翌日パソコンの電源を入れると、
「Windows更新プログラムの構成に失敗しました。変更を元に戻します コンピューターの電源を切らないでください。」
と言うメッセージが表示されたまま画面はフリーズしたように変化なく、時間だけが虚しく過ぎていきました。
待つこと十数時間(?)というか、途中諦めてそのままにして置いたので、詳しい時間は正直なところ分かりません。

気が付いたときはパスワードの入力画面になっていたので、
パスワードを入力し無事に起動。
これで解決とそのときはホッとしたのですが、その日の夜もシャットダウンすると前日と同じメッセージが表示されたのです。
違っていたのは更新プログラムの個数が多少なりとも減っていたことぐらいです。
それでも二百弱あるので、前日の作業は大した効果はなかったことになります、虚しい限りです。

つまり、あの待ち時間は何だったのでしょうか。
あれだけ長い時間を費やした結果は、メッセージの通り単に「変更を元に戻した」だけだったのです。
この後も、同じことの繰り返しで何の進展もないままに数日が経過しました。

ところで「Windows更新プログラムの構成に失敗しました。変更を元に戻します コンピューターの電源を切らないでください。」
というキーワードで検索をかけると、ネット上では

1.リムーバブルメディア(メモリーカード、USBメモリー、リムーバブルディスクなど)が再起動の際、問題の原因になることがあるので取り外す。

2.Windowsにインストールされている様々なアプリや各種サービスによって、更新プログラムのインストールがブロックされることを回避するため、
クリーンブート状態でインストールする。

3.Windowsインストールディスクを使って、起動時にシステム回復オプションを実行し、システムの復元を行う。

などの方法が見つかりますが、わたしの場合、リカバリーしたばかりだったので3.については試行していませんが、
1.2.の方法については実行してみましたが、残念ながら効果はありませんでした。

わたしの場合、状況を再確認してみると更新プログラムが200個以上と大量で、そのことが特徴(ネック)であることが分かります。
つまり、Windows7登場以後に配信された更新プログラムが一挙に押し寄せてきた訳で、
それを一気に処理する(インストール)ところに最大の無理があったのでは、との憶測を立てたのです。

そこで行ったのが、Windows Updateの「設定の変更」です。
ご存知の通り、Windows Updateにはアップデートのタイミングを4種類から選ぶことができます。
現状は推奨の自動更新にしていました。この自動更新機能がシャットダウンの度に働いたのが今回のトラブルの要因でもあったのです。

WindowsUpdate_1
図1

Windows Updateの「設定の変更」は
コントロールパネル → Windows Update と進み表示画面(図1)で重要な更新プログラムの項で行います。

まず、「更新プログラムを自動的にインストール(推奨)」を図2のように「更新プログラムを確認しない(推奨されません)」に一時的に変更します。
この状態に何故するかと言うと、シャットダウン時に更新プログラムを意識せず直ちにシャットダウンされるからです。

図2
図2


次にパソコンを起動し、先ほどのWindows Updateの画面を開き、「更新プログラムの確認」を実行します。(図3)

図3
図3

「更新プログラムを確認しています...」これが思った以上に時間が掛かります(更新プログラムのダウンロード時や「変更を元に戻します」メッセージの時ほどではありませんが)ので留意してください。(図4)

図4
図4

暫くすると、確認が終了し「○○個の重要な更新プログラムが選択されています」と表示されるので、「更新プログラムのインストール」ボタンを押しインストールを実行します。(図5)

図5
図5

大量の場合は何度か同じ操作を繰り返し分割してインストールするようにします。
一見、面倒なようですが、分割した方が結果的には相当な時間短縮になります(徒労に終わらないはずです)。
分割インストールをする場合は「図5の○○個の重要な更新プログラムが利用可能です」の文字部分をクリックし図6の画面へ進みます。

図6
図6 分割する場合の更新プログラム選択画面

次に「更新プログラムのインストール」ボタンを押すと図7の画面になるのでここでも暫く待ちます。
途中、「○○個中○個目の更新プログラムをインストールしています…」のメッセージが出て経過を確認できます。

図7
図7

インストール作業が終了すると再起動を促すメッセージが出るので再起動をします。
この作業を何度か繰り返し、すべての更新プログラムをインストールし終わると、正常な状態に戻りシャットダウン時に上記のメッセージも出ずに終了できるようになります。
何れにしても、時間と根気が必要な作業であることは確かです。
パソコンの電源を長期間入れずに、運悪くその間に更新プログラムが大量累積した場合は注意してください。100個以上は要注意です。

<参考までに>
この作業に掛かる所要時間は、個々の更新プログラムのボリュームやネットワーク回線の種類、スピード、トラフィックにもよるので一概には言えません。

わたしの場合、上記のケースで
「更新プログラムの確認」16個の検出:約8分
「更新プログラムのインストール」16個 65.7MB:約35分

2001年Merrie Monarch ナターシャ・オダのDVD復刻に期待

Natasha Oda
Natasha Oda   画:JD

ハワイの踊りフラには、アウアナ(現代フラ)とカヒコ(古典フラ)の2種類があります。日本で行われているフラ・イベントではアウアナがほとんどですが、ハワイのアーチストによるステージではカヒコもよく踊られています。

カヒコは古典フラと呼ばれているように、古代ハワイの伝統に従っていて、神様に捧げる神聖な踊りとされています。そのため、比較的決まりごとが少ないアウアナに比べて、カヒコは守るべきルールが多く厳しいようです。
踊りの前にチャントというお祈りを神に捧げるのも、そうしたルールのひとつのようです。

また、踊りの衣装も優雅できらびやかなドレスで踊るアウアナに対して、カヒコはあくまでも素朴で大胆で力強さを感じる衣装が多いようです。
それは元来、フラという踊りが男性の踊りだったことに由来するからかもしれません。

そんな古代ハワイから受け継がれたカヒコですが、わたしが最も感動したのが、2001年のメリーモナークでミス・アロハ・フラに輝いたナターシャ・オダ(Natasha Oda)がコンペで披露したカヒコです。

カヒコ最大の特徴である力強さ、雄大さは勿論のこと、その斬新な振り付け、独特の動き、そして千変万化する彼女の顔の表情は余裕すら感じます。あの舞台でのナターシャ・オダのフラ・カヒコはまさに圧巻の一言です。

メリー・モナークの長い歴史の中で、2000年のテハ二・ゴンザーノ、2003年のジェニファー・オオヤマ、2004年のナターシャ・アカウ、2009年のヘノヘア・カネ、そして最近では2013年のマナラニ・ミリ・ホコアナ・イングリッシュなど錚々たるメンバーがミス・アロハ・フラの栄誉に輝いていますが、このカヒコに関してはあの時のナターシャ・オダが最高位だとわたし自身は信じています。(すべてを比較した訳ではありませんが)

とにかく、わたしのつたない解説よりも「百聞は一見に如かず」
動画をご覧ください。

2001 Merrie Monarch Festival
Miss Aloha Hula  Natasha Oda 

`それにしても、2001 Merrie Monarch Festival のDVDは復刻されないのだろうか?

当初はVHSのビデオテープでの販売だったそうですが、確か2004年頃にDVDとして再販したと聞いているのですが、現在は廃盤のようです。
中古市場でもほとんど出回っていません。

2001 Merrie Monarch Festival のDVD
2001 Merrie Monarch Festival のDVD

ハワイへ行ったとき何度か探しましたが、虚しい結果に終わりました。

メーカーさんには是非お願いしたいと思います。

名門チェコ・フィルを聴く

去る11月3日文化の日、名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の音の素晴らしさに堪能してきました。指揮は2012年にこのオケの首席指揮者に復帰したイルジー・ビエロフラーヴェク。場所は横浜みなとみらいホール、曲目は以下の通りです。

・ スメタナ : シャールカ ~連作交響詩「わが祖国」より
・ メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲 op.64
  庄司紗矢香(ヴァイオリン)
・ ドヴォルザーク : 交響曲第9番「新世界より」op.95

チェコ・フィル&ビエロフラーヴェク&庄司紗矢香
チェコ・フィル&ビエロフラーヴェク&庄司紗矢香 コンサートビラ

 

チェコ・フィルと聞いてまず思い起こすのは、やはりラファエル・クーベリック、カレル・アンチェル、ヴァツラフ・ノイマンといった歴代のチェコ人名指揮者による母国作曲家作品の名演奏です。
残念なことに、彼らの演奏を生で聴くことはできませんでしたが、数々のCDでもその熱気は充分感じ取ることはできます。

母国作曲家の作品への愛着という点では、どのオーケストラも同じでしょうが、その中でもチェコ・フィルは特別なものがあります。
それは言うまでもなく、この国とこのオーケストラが辿った歴史的悲劇に起因しているのでしょうが、それ故にオーケストラメンバーひとりひとりの自信と力強さを演奏の中にはっきりと感じ取ることができます。

歴史的悲劇といえば、指揮者もまたその例外ではありません。
記事の冒頭、今回の指揮者イルジー・ビエロフラーヴェクが「首席指揮者に復帰」と記したのも、1990年代初めの内紛による影響で彼はそれまでの首席指揮者としての職位の辞任を余儀なくされ、その後2012年に再度就任という経過があったからです。

以前、テレビで1964年の東京オリンピック、女子体操個人総合などで金メダルをとったベラ・チャスラフスカさんのドキュメンタリー番組を観たことがあります。彼女もチェコ(当時はチェコスロバキア)人として時代というか政治というか、そうした国家の情勢に翻弄されたひとりですが、彼女と同様の苦難が指揮者イルジー・ビエロフラーヴェク氏にもあったということは不勉強ながらこれまで知りませんでした。

そうした暗い過去を背負ったチェコ・フィルですが、当日は活き活きとしたスメタナ、ドヴォルザークを聴かせてくれた気がします。なかでも、オーケストラの各メンバーの表情は意外なほど明るく、何か救われた思いでした。

それとは対照的に、庄司紗矢香さんのメンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲はチョッと元気がなかったような印象です。細部にわたる木目の細かさ、弱音での丁寧さなど技術的には高い評価を受けるでしょうが、残念ながらこの日の演奏では音の線が全体的に細かったように感じます。
演奏は体調など微妙に影響するものですからいたしかたありません。
次回に期待したいところです。

とは言え、チェコ・フィルの手馴れた演奏とこちらも聴きなれた曲目ということで、演奏者、観客とも肩肘張らずリラックスした時間を共有できたように感じます。殊のほか女性メンバーの表情の豊かさと自由奔放な演奏振りがこの国チェコの現状を象徴しているようで、微笑ましい限りです。演奏を聴きつつ、精神的不安や緊張が知的生産や芸術活動に如何に悪影響を及ぼしているかを確信しました。今のこうした落ち着いた情勢がいつまでも続くことを願わずに入られません。

それにしても指揮者イルジー・ビエロフラーヴェク氏のサービス精神ぶりには何とも感動の一言です。アンコールで3曲も演奏していただいたのですから。彼が親日家かどうかは分かりませんが、聴衆を大切にするというその思いは充分伝わってきたように思います。

四半世紀前の本「辛口JAZZノート」は刺激いっぱい


辛口JAZZノート 寺島靖国 著

寺島靖国 著「辛口JAZZノート」
20数年ぶりに陽の目を見た 寺島靖国著 「辛口JAZZノート」

先日、「辛口JAZZノート」という本を見つけた。
この本は、昭和62年11月6日第1刷発行とあるから、四半世紀以上前に書かれていたことになる。
部屋には置ききれず、以前いくつかのダンボール箱に分けて保管しておいた中のひと箱から出てきたものだ。
ちなみに、わたしが購入したのは平成2年2月20日発行の第12刷である。
ジャズ関連書籍としてはかなりのベストセラーではないでしょうか。

紙の黄ばみはあるものの、傷みはほとんどなく、かなり上等の部類と言える。
表紙の綴じ側の折れ目もまったくないことから、果たして購入後読んだのかどうか疑わしい。
勿論、本の内容についてはまったくと言ってよいほど記憶にないのだから、恐らく当時流行った「つんどく(積読)主義」を地で行っていたのかも。

何れにしても、わたしがこの一冊にその時興味を抱いたのは、偶然にも数ヶ月前に読んだ、ジャズピアニスト山中千尋氏の「ジャズのある風景」の中に、寺島靖国氏の記述があることを思い出したからだ。
実際はどうなのか分からないが、本の中では両氏の間に険悪ムードが漂っていて、その原因も寺島氏の身勝手さからくる言動によるもので、
日頃問題発言をする人間が、された時の醜態ぶりを山中千尋流に綴っていた。
読者としては面白おかしく読ませて頂いたが、この手の表現は眉唾物で、どこまで信用できるかは当事者だけが知るところだろう。

山中千尋 著 「ジャズのある風景」
山中千尋 著 「ジャズのある風景」

さて、肝心の本「辛口JAZZノート」の内容だが、読み終えてみれば「寺島靖国節」炸裂と言ったところで、ある意味、野次馬根性的に好奇の目で一気に読み切ることができた。
それまでのお決まりのジャズミュージシャン年代記だったり、ジャズ全般の歴史を綴ったガイドブックとは明らかに異質であった。

ジャズ評論の世界では異端児的存在として知られている著者だが、
この段階で既にその片鱗は覗える。
また、、ジャズ喫茶オーナー、評論家、オーディオマニア、ジャズCDのプロデューサー、そして一ジャズファンと多肢にわたる活動を行っている寺島氏だが、この「辛口JAZZノート」が執筆活動としては始めての作品ということで、当時はかなりの意気込みをもって取り組んだのだろうと想像できる。

30代前半でジャズ喫茶のオーナーになり、50歳前後でこの本を執筆。
その時々で新しいことに挑戦し、何時の時代も好奇心を失わない著者の姿勢は見習いたいところだ。

従来の枠に囚われないものの考え方は、その当時ジャズの名盤とお墨付きのアルバムにさえ物申すという姿勢にも現れているが、そんな血気盛んな頃の著者のエネルギーがこの本を生んだように思えた。

<エピローグ>
恐らくこれも想像だが、わたしはこの本を購入当時読んでいないのが正解だと思う。
なぜなら、当時のわたしはジャズの初心者に近いものだったから、
恐らくガイドブック的なジャズ関係本を買っていたはず。
冒頭何ページか読み、路線の違いとあまりの破天荒ぶりにギブアップしたというのが妥当なところだろう。
(2015.11.25 JDA)

Mac OS XでGoogleが開かないことについて


computer

昨今はMac神話が崩れ、マックにもウイルスソフトが必要なご時勢になってしまいました。裏を返せば、それだけマック人口が急増しMac OS X向けの悪質コンピュータウイルスを作成する人が出てきたということ。
まったく困ったことで、お金が掛かる時代です。

そんなことで、渋々愛用Macに、これまでWindows PCで利用してきた@niftyの「常時安全セキュリティ24」というセキュリティーソフト(Mac版)をインストールしたのですが・・・

導入当初は気が付かなかったことですが、これが悪夢のはじまりで、なんとGoogleの検索サイトが開かないということに気が付きました。

図1(ブラウザ「safari」のエラー表示)
screenshot_01

 

図2(ブラウザ「Google Chrome」のエラー表示)screenshot_02

当初は原因が解らず、ブラウザ「safari」の設定上の問題かと軽く考えていましたが、一向に解消できず検索などはWindowsPCに任せ、しばらくは諦め状態のときもありました。
その間、いろいろ試したことをまとめてみると、

  • ブラウザを「safari」「Google Chrome」「FireFox」で試みましたが、結果的にはNGでした。一部ネット上では「safari」特有の現象のように書かれてありましたが、わたしのケースではどのブラウザもダメでした。
  • Googleだけではなく「https://***」ではじまる、いわゆる暗号化サイトがことごとく開きませんでした。
  • 「サイトの再読込み」ボタンを何回か連続クリックすると開けることが稀にありました。
  • WindowsPCではまったく問題なく開くことができます。

以上のことから、サーバー側やネットワークのトラブルが原因とは考えにくいので、導入間もないセキュリティーソフトに的を絞りました。

結果的にも悪さの原因は@niftyの「常時安全セキュリティー24」の設定上にあることが解りました。
以下はそのトラブル解消の操作手順とコメントです。

ちなみに、@niftyの「常時安全セキュリティー24」はF-1のチームのスポンサーにもなっているKASPERSKYの「マルチプラットフォーム セキュリティ」をベースにしているようです。わたしはライセンス数の関係でこのソフトを別にパッケージ購入して使っているのですが、同じ不具合はこちらでも出ます。
(*@niftyの「常時安全セキュリティ24」は一契約PC3台まで。)

<操作手順>

「常時安全セキュリティ24」を開くと図3の画面が表示されます。
右下のウェブ保護(このときは有効状態)部分をクリックします。

図3
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図4画面が表示されますので、
ウェブ保護の「安全な接続(HTTPS)をチェック」と「ウェブ保護を有効にする」の両方のチェックを外します。

図4

図4

「安全な接続(HTTPS)をチェック」のみチェックを外すだけで解決するということもあるようですが、わたしの場合は二つ外さないと解決しませんでした。

以上で Mac OS XでGoogleが開かないというトラブル対応は解決を見るのですが、ここでひとつ気になることがあります。
それは、図4の2箇所のチェックを外した状態だと「常時安全セキュリティ24」の最初の画面は図5のような画面に変わってしまいます。

図5
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これは何を意味するかと言えば、本来安全を意味するグリーンから警告のオレンジに変わっているわけで、セキュリティ上は万全ではないと言うことではないでしょうか。この状態でネット閲覧を奨励するのであれば、それはまるで「不十分な装備で危険な冬山へ登山に行きなさい」と言われてるようなものです。。
これでは有料でセキュリティソフトを導入した意味がまったくないと思うのですが、如何でしょうか。

わたしの場合、マックにセキュリティソフトを入れたのが最近でしたから、気が付くのも遅かったのですがネット上に限っていえば、かなり以前からこの問題は囁かれていたようで、そう考えるとこのような不十分なその場凌ぎの対応では問題の本質解決にはなっていないと思います。
不親切というか無責任だと思います。関係する企業には早急の誠意ある対応を期待したいところです。

 

憧れの図書館とは Part 2

この間、図書館の記事を書くにあたり、図書館に関する本や雑誌を読み、あるいはネット等で調べ物をする上で、図書館にまつわる意外な事柄を知ることができました。

例えば、普段なら視界に入らないような本、一例として「情報基盤としての図書館(根本彰 著 勁草書房)」、これは本来、図書館司書を目指している人が読むような本だと思いますが、読む機会に恵まれました。

また、ここ何年か若い人たちに人気の「図書館戦争」シリーズ。
これは出版数も膨大で流石に読んだ訳ではありませんが、メディア全般に対する権力者側の弾圧的な対応や「表現の自由」の問題と言ったかなり難しい題材を扱っているアニメであり映画だということが分かり、その概要が掴めただけでも勉強になりました。

library book
library

活字離れや電子書籍の台頭で、紙ベースの本が危ういなどと叫ばれて久しいですが、こうしてみると、依然として図書館や本への関心が根強いことがわかり一安心です。

ただ、この調べ物をしている中で、懸念すべき問題もいくつかありました。
それは、前述の「図書館戦争」でも中心的テーマになっている「図書館の自由に関する宣言」という実際の条文の存在と、昨今、一部の大学図書館や「ツタヤ図書館」等で実施され始めた「図書館内での会話OK」のルールに関してです。この会話OKルールは現在は特定の図書館で試行実施されていますが、今後は多くの図書館に波及してゆくことが予想されます。どんなに古臭い考え方と言われようと、わたし自身としては、図書館に会話、おしゃべりは相応しくないと思います。

こうしたルールができた背景、経過について詳しいことはわかりませんが、各自治体の財政難から利用者が少ない図書館は閉館の可能性ありという危機感から始まったとしたら、個人的には納得できません。
(現に、神奈川県の県立図書館では数年前にこの理由で閉館云々が囁かれましたから。)

公共事業の強みは、民間のように収益のことを第一に考えず、思い切った企画運営ができるところだと思います。その意味からすると、利用者が少ないからといって閉館では民間運営と何らかわりません。

以前取り上げた佐賀県武雄市のツタヤ図書館の館長さんのコメントに「館が新しくなって、 今まで以上にいろんな人がそれぞれの居場所を求めてやってくるようになった(2013/10/05 3:30 日 本経済新聞 電子版より抜粋)」というのがありましたが、このコメント内容は非常に気になるところです。

このコメントでは、図書館、読書など直接本に関わりのない人たちでも「入館してもらえればそれで良し」という打算的印象を受け、いわゆる数字合わせに思えます。図書館が本来目指している主旨・目的に合致した人たちが集ってはじめて、真の活性化といえるのではないでしょうか。

飲食OK、会話OKなど、すべては閉館されないための苦肉の策、妥協案に思えてなりません。飲食OK、会話OKで人的交流、情報共有を図りたいのであれば、図書館よりももっと相応しい施設があるはずです。いったい、前述の「図書館の自由に関する宣言」はどこへ行ってしまったのでしょうか。

そうならない為にも、公共図書館は最後の聖域にならねばいけないと思います。特殊な専門書やマイナーな書籍もできるだけ保管管理し備えるという拘りの姿勢と、利用者の人数に左右されないのびのびとした運営にこそ、公共図書館としての大いなる役割があり、「情報基盤としての図書館」と呼ぶに相応しいのだと思います。
自由な気風の中に「おしゃべりはダメ」というスパイスを効かせることは今の世の中には必要なことのように思えます。そうしたある種、神社仏閣や教会のような静粛にすべき場所、ケジメをつける場があっても良いではないでしょうか。

行列ができるような図書館は大袈裟かもしれませんが、これからの図書館がその種の図書館を目指しているとしたら、「図書館の自由に関する宣言」は到底守られることはないでしょうし、本末転倒のように思えます。

前回の記事で最後に述べた「行列ができるような図書館には通いたくない」というわたし自身のコメントは、以上のような理由から発せられています。

財政が厳しいからと、入館者数が少ない、利用頻度が思わしくない図書館は閉館という考えはあまりに短絡的です。ほんの一例ですが、文科省の大学への補助金を見直したり、図書館内の正規職員に代わるアルバイトやボランティアの積極的な活用を考えるなど、閉館を決断する以前に、経費を減らす方向での検討の余地はいくらでもあるように思うのですが...

そうした提案をすると、ルールを分かっていないとか、予算の枠組みがどうのこうのといった反論が目に浮かびますが、単なる図書館の問題ではなく、もっと大きな枠の中で議論いただきたいものです。




憧れの図書館とは

前回は「ツタヤ図書館」について触れたので、今回はわたしが理想とする図書館について述べておきたいと思います。

ハリウッド映画などを観ていると、主人公の学生が図書館で調べ物などをしているシーンを見かけます。

高い天井に歴史を感じさせる重厚な机や本棚たち。
その光景は、一朝一夕では成し得ない伝統と風格が感じられ、わたしは、ただただ憧れてしまいます。

映画「ペリカン文書」より
映画「ペリカン文書」より

そうした公共図書館ほどのスペースは無理としても、個人的には例えばシャーロックホームズのドラマに出てくるような書斎でもいいのですが、欲しいものです。
それもムリですね。

ところで、最近の図書館は最先端の近代建築のテクノロジーを駆使し、機能性を追求した無駄のない建物が目立ちます。
抽象的な絵画やオブジェが適度に配置され、如何にも未来志向といった感じです。

モノトーンで統一された空間は、実際よりも広いスペースに感じられるかもしれません。清潔感とオシャレな雰囲気が漂うその空間は、如何にも現代的でインパクトがあり、多くの人たちの注目を集めることは間違いないでしょう。
実際、そのような傾向の図書館が全国的に増えているように思います。

でも、わたしはそうした空間にむしろ違和感を感じます。
それは、現代という時代に象徴される慌しさや冷ややかさを感じてしまうからです。先述した映画のワンシーンのような落ち着きと温もりは、
残念ながらそこからは感じられないのです。

Desk&Lamp
Desk&Lamp

昨今、自治体の公共図書館は老朽化を向かえその対応策の中で、何らかの形で佐賀県武雄市や神奈川県海老名市の「ツタヤ図書館」が参考例として出され、多くの自治体で検討されることと思います。

先行の自治体では書籍の選定問題や民間が加わることで利益優先にならないかといった懸念など、運営面での問題点がクローズアップされていますが、わたしとしては図書館の建物外観や内装レイアウトなどにももっと関心を持ってほしいと感じています。
それは、運営面での問題は活動の中で解決が可能ですが、建物等については、一旦建設してしまうと費用の面などで修正が容易ではないからです。

個人的には、現代アート的な建物を新築するよりは、古い建物の良さを活かしたリニューアルで、伝統を維持した個性ある図書館が再スタートできればと思います。

更に、要望としては学習机の一人当たりのスペースに、もう少しゆとりがほしいです。わたしが利用する市の図書館などは学習スペースが狭い上、隣と肩が触れ合うほどの間隔で椅子が配置されていて圧迫感があります。それでも空席があればラッキーで、ほとんど満席で利用できないことがほとんどです。果たして、こうした環境のなか満足のいく学習がみなさんできているのでしょうか。

以前、県立図書館のアンケート調査のなかで利用状況に関する設問に対し、「行列のできるような図書館になったらもう通いたくない」という回答をしたことがありましたが、この件に関しては次回にいたします。

Viva! the Arts