さすが、NHK交響楽団
指揮者、トゥガン・ソヒエフの今後に注目!
最近のコンサートを観ていて、とても気になることがひとつある。
それは、アンコール演奏の在り方である。昨今のコンサートではアンコール演奏はプログラムの一部と化している。
あって当然という意識が演奏者、観客の両者にあるように思えて違和感さえ覚える。
本来のプログラムが終わるや否や、ブラボーの掛け声とともに万来の拍手が起こり、指揮者やソリストの数回にわたる出入りと挨拶を繰り返すお決まりのパターン。
そして最近では、そのあとに必ずアンコール曲がプラスされるというパターンが、概ねどのコンサートでも行われている。
そもそもコンサートに於けるアンコールという風習がいつ頃から始まったのか。
そんなことを改めて調べたことはないが、要は演奏者のサービス精神からきているのは確かであろう。
その意味では、当初はとても純粋な心遣いだったに違いない。
1、2曲余計に聴けるのだから誰しも得したと考えるのは当然だが、ここでへそ曲がりなわたしとしては納得がいかない。
そもそも、演奏家が予定の曲目を手応えある形で演奏できていれば、その日コンサートホールに足を運んでくれた聴衆に対して十分サービスしたことになるし、それで十分だと個人的には思うからだ。
しかし、最近ではアンコールがあることが前提という考え方がこの業界には蔓延しているように思える。
何度かコンサートを経験すると、その場の雰囲気というものを感じ取れるようになる。聴衆の立場からすると、惹き込まれるような演奏を聴けたとき。
演奏家にとっては、十分に納得いく演奏が果たせたとき。
よくいう演奏者と聴衆が一体になった時というのがこうした状況といえるのでしょう。
そんなとき、会場は自然発生的にアンコールを求めるもので、それは演奏家、聴衆両者が気持ちの上で同期状態になったからこそ起こり得る現象の筈だ。
(はじめからアンコールというレールが引かれていては興ざめしてしまう)
だが、そうしたすばらしい演奏会には、めったにお目にかかれないのが現実。
ところが、先日そうした数少ない貴重な演奏会に巡り会えたので紹介したいと思う。
でも、そこでは不思議なことに(後々考えると不思議ではないのだが)、アンコールは行われなかったのである。
去る2016年1月23日(土)
場所はみなとみらいホール。
NHK交響楽団の2016横浜定期演奏会でのことである。
プログラム内容は上のパンフレットの通りだが、この日の圧感はプログラム最後の「白鳥の湖」だった。
ルーカス・ゲニューシャスのピアノによるラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」もゆったりと堂々とした演奏で、作曲家ラフマニノフの曲調を十分に表現した名演だったが、それにも増してすばらしかったのがチャイコフスキーの「白鳥の湖」抜粋だった。
正直なところ、「白鳥の湖」のようなバレエ組曲をコンサート会場で(自宅のオーディオでも)聴くことは最近では滅多にない事だが、じっくりと聴いてみると、改めてメロディーメーカーとしてのチャイコフスキーの天性と偉大さに感心する。クラシック音楽の原点を再認識させられた思いだった。
ややもするとポピュラーすぎて軽く聞き流されがちなこの曲を、この日のN響は全力で演奏していた。その迫力はフィナーレで最高潮に達し、指揮者のトゥガン・ソヒエフも最高のパフォーマンスを発揮。演奏終了時は満足そうな表情を浮かべたものの、身体はフラフラ状態だった。
そんな演奏に対し、もちろん会場は万来の拍手喝采状態だった。
いつまでもアンコールを求める拍手が鳴り止まなかったが、指揮者のトゥンガ・ソヒエフはアンコールに応じることはなかった。
コンサートマスターの篠崎氏もトゥンガ氏に声をかけ、アンコールを促している様子だったがそれでも応じることはなかった。
一見、このときにとった彼の行為は、素っ気なく観客に対して失礼な対応のように感じられたかもしれないが、わたしは寧ろ勇気ある行動に感心した。
表情豊かで、動きの激しい彼の指揮ぶりでは、演奏後疲れ果ててしまったのも尤もで、さらにこの日の演奏はいつも以上に気合が入っていただけに、体力の限界だったに違いない。
アンコールがなかったのは無理もないことで納得できた。
その証拠に聴衆の中に落胆の表情は全く見受けられず、満足顔の人たちが目立っていたからだ。
逆に、あのとき不本意なアンコールを行っていたら、それまでの「白鳥の湖」の熱演もアンコール曲共々台無しになっていたかも知れない。
指揮者のトゥンガ氏は自身の体力とともに、そうした結果を十分に察知していたのだと思う。「あれで良かったのだ。」と思ったのはわたしひとりではなかったはずだ。
昨今のコンサートに於けるアンコールの在り方に、少なからず疑問を抱いているわたしとしては、彼の勇気ある行動にエールを送りたい気分だった。
将来、期待でき、応援したくなるマエストロのひとりである。
演奏者と聴衆、一期一会の出会いの中で繰り広げられる演奏。その演奏がすばらしければすばらしいだけ聴衆は惜しみない喝采を演奏家に送り、褒め称えるのは自然なことだ。
そして、必ずしもそうした拍手喝采が、アンコールを求めるだけのものではないと言うことを、この日のコンサートはわたしたちに教えてくれたように思う。
要するに、アンコールをするかしないかは、その場の状況やその時の成り行きなどで、瞬間的に判断されるものであってほしいと思うのだ。
自宅でのCD鑑賞とコンサート会場での生演奏との決定的な違いは臨場感など音に関係する違いであることは勿論だが、こうした会場でのワクワク感、緊張感もコンサート会場にいなければ味わえない魅力であり、それこそコンサートに期待するものだ。