008 IF YOU GO AWAY (Ne Me Quitte Pas) 行かないで


課題曲

#008 「IF YOU GO AWAY (Ne Me Quitte Pas)  行かないで」

Lyrics by: Rod Mckuen ロッド・マッケン(英語詞)
Lyrics & Music by: Jacques Brel ジャック・ブレル

今回紹介する曲「IF YOU GO AWAY (Ne Me Quitte Pas)  行かないで」については、ここで採り上げるべきかどうかかなり迷った。何故なら、この曲はすでにスタンダードナンバーとして確固たる地位を確立していると思えるからだ。
欧米、特にヨーロッパでは恐らく日本では想像もつかないほどに愛され、親しまれている曲ではないかと思う。

昨今のわが国の音楽シーンを考えると、世界に通用するこうした本物の楽曲が忘れ去られる傾向にあるようで残念でならない。クラシック音楽は学校教育の場や著名なアーチストによって何とか次世代に受け継がれているのでひとまずは安心だが、洋楽のこうしたジャンル(あまり使いたくない用語だが)の曲は果たして日本で生き残れるのか極めて心配である。

そんな訳で、幅広い世代に知ってほしい曲のひとつとして、どうしても採り上げなければいけないとの自身の拘りもあって、紹介することとした。

「IF YOU GO AWAY (Ne Me Quitte Pas)  行かないで」は1959年のジャック・ブレルの作品で、彼自身の歌でもヒットしたが、後にロッド・マッケンによる英語詞でダスティー・スプリングフィールドやスコット・ウォーカーなどが歌い世界的大ヒットとなった。
「行かないで」という邦題が作者の意図を100%表現した邦訳になっているかどうかは別にして、カバーした彼らの歌唱から受ける印象はみな一様で、去って行こうとする愛しい人を懸命に引きとめる情景に他ならない。
ただ、違いがあるとすれば、引きとめる側にいるミュージシャンがどのような心境にあるかというスタンスの違いだけである。

一説によれば、男の勝手気ままな部分を歌ったものという見方もあるが、出来上がった作品はどれもラブソングである。
この曲を歌っているミュージシャンはここで紹介する以外にもたくさんいる。
彼らは恐らく作曲家ジャック・ブレル自らが熱唱する「Ne Me Quitte Pas」を一度は耳にしているはず。そして、その歌唱に感動し、共感し、圧倒されてこの曲をレパートリーにしたのかも知れない。
あるいは作曲家に対する長年の憧れの結晶なのかも知れない。何れにしても、この曲が大好きで、曲に対する特別な思い入れがあってことは確かだろう。

そのオリジナルともいえるジャック・ブレル自身の「Ne Me Quitte Pas」を残念ながら私は持っていないが、以前何度か聴いたことがある。荒削りで無骨な歌唱だが、情感こもった鬼気迫る迫力で熱唱していて、さすがの存在感を示していた。それとは対照的にバックのピアノ、ストリングスは、静かに滑らかに哀愁ある旋律を奏でていてあくまでも冷静そのものだった。それでいて両者のバランスは絶妙で、見事な作品になっているのが不思議だった。かつてのシャンソン歌手の大御所シャルル・アズナブールの「イザベラ」を彷彿させる熱唱ぶりだった。

今回、この記事を書くにあたり、たくさんのアーチストによる「行かないで」を聴いた。そのとき思い浮かんだのは、ジャック・ブレルによる荒削りな「行かないで」をモデルにして、各ミュージシャンが個性とテクニックで独自の作品を創り上げようとしている懸命な姿である。
それは無造作に削られた木片を自分流に削り、「行かないで」という作品を彫り上げようとするまるで彫刻家そのもののように思えた。

「Ne Me Quitte Pas」は元々はシャンソンであり情熱的な要素は自然と持ち合わせた楽曲である。スローバラードでありながら、この楽曲がもつ情熱と緊張感をそれぞれのアーチストがどのようにコントロールし表現しているかを聞き分けることがキーポイントだ。

先ずは、この曲を知るきっかけとなったダスティー・スプリングフィールドのナンバーから紹介してゆくこととしよう。

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◆ Best of DUSTY SPRINGFIELD
DUSTY SPRINGFIELD  ダスティー・スプリングフィールド

ダスティー・スプリングフィールド
Best of DUSTY SPRINGFIELD

このアルバムは後に出たベスト盤だが、「行かないで」は
1967年のアルバムに収録され、69年に日本で独自に
シングル・カットされた。
いずれこのシリーズでも採り上げなければと思っている名曲「この胸のときめきを」で一世を風靡した彼女の恐らくベスト5に入るヒット曲だろう。

ストリングスで始まる冒頭から、彼女の第一声までの十数秒でこのナンバーのすべてが決定されたといっても過言ではないだろう。
それほどに見事な出だしであり、アレンジである。

彼女の持ち味であるハスキーヴォイスと切々と歌う歌唱は、まだ見込みがあると信じて必死にすがる健気な女性主人公を演じているかのようだ。これぞスローバラードといえる一級品である。一度聴いたら忘れることのできないとても印象に残るナンバーに仕上がっている。

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◆ Just Friends
HELEN MERRILL FEAT,STAN GETZ ヘレン・メリル✕ スタン・ゲッツ

「Just Friends」 1989年
HELEN MERRILL FEAT,STAN GETZ「Just Friends」 1989年

ときに、その歌声は「ニューヨークの溜息」と評される通り、どこか気だるい雰囲気の歌唱はこのナンバーでも健在である。それ故に、なかば諦めの念を含んだ「行かないで」になっていて、あとくされのない大人の雰囲気が感じられる。

スタン・ゲッツのテナー・サックスで始まる前奏は、恐らくブラームスのシンフォニーの旋律を使ったのであろうが、そこから一転して本来の曲に入るところなどとても洒落たアレンジである。
曲自体が持つ雰囲気と彼女の個性がぴったりとハマった絶妙の組み合わせと言える。スタン・ゲッツのテナーもそれに貢献していることは言うまでもないが...

それにしても、このアルバムが制作されたのが1989年だから、録音当時の彼女は還暦に近い年齢であり、途中音楽活動を停止した時期もあることなどを考えると、このアルバムの彼女は意外なほど精力的で若い。

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◆ Scott 3
SCOTT WALKER スコット・ウォーカー
「Scott 3」 1969年

SCOTT WALKER スコット・ウォーカー
Scott 3
SCOTT WALKER スコット・ウォーカー

ウォーカー・ブラザースのリード・ヴォーカルとしてミュージックシーンの頂点をある意味極めた彼のソロシンガーとしてのサードアルバムである。「行かないで」はこのアルバムの最後に入っている。

ソロ活動以降これまで、好んで歌っていたジャック・ブレルの楽曲は13曲中3曲と極端に減った。そのうちの一曲がこの「行かないで」である。

今回採り上げたヴォーカルものの中では、男性ヴォーカルは彼だけで、複雑微妙な心境を男性にもかかわらず上手く歌っているが、すべてを悟りきったような淡々とした表現はまるで敬虔な祈りのようにも思える。

オリジナルの割合が多くなったこのサードアルバムはこれ以降の彼のアルバムとをつなぐ橋渡しの存在であったことは当然だが、より独自性が強く内省的になっていったことを考えると、ここへきてかれの音楽的傾向が何となく見えてきたような気がする。
当時リアルタイムでは気が付かなかった、これ以降、前衛的で過激ともいえる彼の音楽の方向性を予見できる前兆がこのサードアルバムには秘められていたことが。

ファーストアルバム、セカンドアルバムと聴いてゆく中で、独立後彼の目指す音楽的方向性は完全に確立されたと、当時は思っていたが、彼の中では実は迷いに迷っていたのかも知れない。
そう考えると、「行かないで」のナンバーだけがアルバムコンセプトから外れていて、最近よくあるボーナス・トラック的で違和感を感じてしまうのは私だけだろうか。個別のナンバーとしての出来は最高である。

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◆ Night
HOLLY COLE ホリー・コール

Night HOLLY COLE ホリー・コール
Night
HOLLY COLE ホリー・コール

一曲目で映画007の主題歌である「You Only Live Twice 007は二度死ぬ」をカバーしていてそこに惹かれて購入したのだが、「行かないで」も収録されていてラッキーだった。

「行かないで」を彼女が歌うこと自体、かなり意外に思ったが、女々しい主人公ではなく、かなり意志の強い女性を演じていたように思う。それは単に彼女らしさをストレートに出しただけなのだが。

その動揺を感じさせない堂々とした歌いっぷりは、女性版スコット・ウォーカーといったところか。英語とフランス語を交えジャジーな趣をもって、曲の持ち味を崩すことなく淡々と処理したという感じである。

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◆ Romeo and Juliet
Karel Boehlee Trio カレル・ボエリー・トリオ
「凍るような闇夜に響きわたる」と例えたらよいのか、あるいは「湖面に拡がる波紋のごとく」と評したら良いのか、何れにしてもカレル・ボエニーのピアノはどこまでも透明で美しい。彼のピアノ音にもし触ることができるとしたら、恐らく「冷やっ!」とした冷たさを体感できるのだろう。

ご存じEJT(ヨーロピアン・ジャズ・トリオ)の初代ピアニスト、カレル・ボエニーがEJTを抜けた後、2002年に自身のトリオとして録音したアルバム「Romeo and Juliet」の中の一曲。

スタンダードな名曲揃いの中にあって、この「(Ne Me Quitte Pas) 行かないで」は若干マニアックな趣はあるが、それでもカレル・ボエニーらしい繊細なピアノタッチでエレガントなジャズ・ナンバーに仕上がっている。

EJTの頃からのメロディー重視なところは変わっていないが、それが彼の最大の持ち味でもある。そんな中でもこの曲に関してはかなり冒険をしたように思える。そのため、他のナンバーにくらべてジャズ的要素がかなり前面に押し出された演奏になっていると思う。

ただ、彼らというかカレル・ボエニーの追究する音楽は、曲の特性を活かすという以上に、その曲をどこまで美しく表現し心地よく聴いてもらえるかということに重点が置かれているように思えてならない。そのためか、この「(Ne Me Quitte Pas)  行かないで」という楽曲がDNA的に持つ嫉妬や未練と言った男女の機微はまったく感じられず、何かそうしたものを超越したところにこの演奏があるように思える。

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◆ No Strings
SHEENA EASTON シーナ・イーストン

No Strings SHEENA EASTON シーナ・イーストン
No Strings
SHEENA EASTON シーナ・イーストン

1980年代初頭からポップアイドル歌手として一世を風靡し大活躍したシーナ・イーストン。
それから13年ほど経過してのアルバムがこの「No Strings」であり、当該曲「行かないで」は5曲目に入っている。

アイドル歌手からスタートした彼女のスタンダードに挑戦という意義あるアルバムだが、80年代はポップ歌手やロック系のボーカリストがスタンダード集を挙って出しており、当時の流行になっていた。

リンダ・ロンシュタットやナタリー・コールはその中でも特に成功を収めたミュージシャンだったが、すべてが大ヒットアルバムとして成功した訳ではなかった。
シーナ・イーストンはポップ歌手としては歌唱力がある方だと思う。だが、クラシックの本格派歌手がポピュラーソングを歌っても必ずしも本領発揮できないようにジャンルの壁は高いのである。
本来、音楽にジャンル分けは無意味と思いたいが、こうした問題に直面するとやはり認めざるをえない気がする。

彼女自身、当時の流行とは関係なく純粋に更なるステップとしてスタンダードの世界に挑戦したのかも知れないが、これまでに触れてきたアーチストにくらべ時期尚早だったようだ。さらに彼女のポップシンガーとしてのずば抜けたセンスが禍したのかも知れない。伸び伸びとした溌剌さが彼女最大の長所であるにも拘らず、スタンダード、特に「(Ne Me Quitte Pas)  行かないで」を歌う彼女からはそうした生き生きした躍動感は感じられない。逆に窮屈さだけが目立つ結果になっているのがとても残念である。

このアルバムをレコーディングした当時、アイドル歌手を脱却したとはいえ、彼女は34歳前後でまだ若い。このナンバーを歌うには多少「背伸び」であったのかも知れない。